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鬼から見た中世の喜志

印刷用ページを表示する掲載日:2020年2月28日更新
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 スーッとした鼻筋に猪風のちょっと憎めない顔。折れていますが、眉間には角が生え、大きく盛り上がった頬の横には太く線刻した頬ひげ。少しとぼけた表情のこの鬼瓦は平安時代後期のものです。

鬼瓦

 鬼瓦は、寺院に瓦が葺かれるようになった飛鳥時代からあり、最初は仏教で大切な蓮華を表していました。鬼になったのは奈良時代からで、平安時代後期には顔だけをあしらい、立体的な目や鼻をつけるようになりました。皆さんのよく知る鋭い牙と眼光を持つ強面の鬼瓦は鎌倉時代後期以降になってからです。
 調査では平安時代後期から室町時代前半の遺構遺物が多く見つかりました。遺物は半数以上が平安時代後期の瓦で、軒丸瓦も軒平瓦もほぼ一種類しかありませんでした。平瓦も同様で、丸瓦はその時期の瓦以外に少しだけ鎌倉時代の瓦が出ています。

軒丸

 そのほか隅切瓦や鬼瓦の破片もあります。今回の出土瓦を四隅計測で数えると60数枚になりました。これは瓦屋根を葺くには極めて少ない枚数です。瓦と関連しそうな遺構はなく、室町時代に瓦や土器を廃棄した大きな穴を2つ検出しました。また、地面の一番高い場所から低い場所へ向かって、数回整地した土層を確認しました。整地土は、瓦片を多く含み、鬼瓦もその中から見つかりました。
 以上のことから、「平安時代後期頃に建てられた瓦葺建物が調査地近くにあったこと」、「長くは存続せず、ほとんど補修されなかったこと」、「鬼瓦や隅切瓦から屋根構造は寄棟の可能性が高いこと」が分かりました。調査地は石川の河岸段丘の縁辺に位置します。そこに村落の小さな瓦葺の仏堂があり、廃絶後、整地の際に相当な削平を受けたのかもしれません。中世の岐子(支子)庄の歴史は文献に残っていません。この頃の喜志の歴史をひも解く糸口となる成果といえるでしょう。

(令和2年3月号)

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