ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

巡見使の献立

印刷用ページを表示する掲載日:2021年10月8日更新
<外部リンク>

江戸時代、幕府は将軍の代替わりごとに地方の状況を視察するために各地へ巡見使を派遣しました。巡見使は3人一組で派遣されましたが、部下や御供など随行を含めると総勢100人を超えました。
巡見使の行程とその対応については前もって村々に細かな指示が出され、地元では人足や馬の割り当て、道筋の清掃や必要な物資の手配などに追われました。巡見使の休憩や宿泊には村内で裕福な家が割り当てられ、湯殿(ゆどの)や雪隠(せっちん)が増設されました。
天保9年(1838年)、徳川家慶(いえよし)の12代将軍就任に伴う巡見使が派遣されました。巡見使の一行が宿泊した富田林村の家には、巡見使にかかる通達の他、普請の記録や購入した品々、巡見使に提供した献立などの記録が残されています。
この時の夕飯には味噌汁(鱧(はも)のすり身・じゅんさい)、菓子椀(煮梅・鱒(ます)一分塩・松菜)、焼物(鯛(たい)の切身の幽庵焼(ゆうあんやき))、香物(こうのもの)(白瓜の奈良漬・茄子の浅漬・大根)が並びました。ところが巡見使たちは焼物には手をつけません。それもそのはず、巡見使の食事は一汁一菜と決められており、酒を含め過剰な接待は禁じられていたからです。すぐさま焼物を除き菓子椀と汁のみにしたところお上がりになった、と記しています。
朝食には赤味噌の汁(松露(しょうろ)・水前寺菜)、向付(むこうづけ)(鰈(かれい)の洗い・胡瓜・から茸(たけ))、平椀(根芋・しめじ・御所麩(ごしょふ)・生貝・切身)、香物(奈良漬・胡瓜・大根)が並ぶ予定でしたが、夕食の一件があったため、味噌汁、菓子椀、香物だけにしたところ、大いに気に入り特別に挨拶があったそうです。もっとも、一汁一菜といえども白味噌の汁は鯛の切身・ちしゃ、菓子椀は鱧・伊勢海老・御所麩・しめじ・かぶら、という庶民とは縁遠いものでした。

富田林村に宿泊した巡検使の朝食

富田林村に宿泊した巡検使の朝食

(令和4年5月号)     

*過去の広報連載記事はこちら

おすすめコンテンツ