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埴輪なら世界遺産に負けへんで

印刷用ページを表示する掲載日:2023年4月3日更新
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和3年度に喜志南遺跡の二ヵ所(喜志町一丁目)で行った発掘調査で、大量の埴輪(はにわ)が出土しました。前回のレポート(令和4年10月号)では、キノコのような形の埴輪がみつかったことを紹介しましたが、今回はもう一ヵ所で行った調査の成果を取り上げます。
調査場所は、喜志プール跡の北西です。宅地造成工事に先立つ試掘調査で、人物埴輪と思われる欠けらをみつけたことが始まりでした。石川のすぐそばという、古墳の存在が全く想定されていなかった場所であること、人物埴輪は限られた古墳にしかなく、なかなかお目にかかれないものであることから、驚きの発見でした。
「これは大変なことになるかもしれない」。その予感は的中しました。本調査が始まり、調査区の一画の耕作土を取り除くと、埴輪が大量に入った土が現れました。人物埴輪に加え、家形埴輪、蓋(きぬがさ:貴人にさしかける傘)・靫(ゆぎ:矢を入れる筒)・盾形といった道具をかたどった埴輪、鶏・馬形の動物埴輪などがあり、すべて小片になっていましたが、現場では連日にわたって驚きの声が上がりました。
調査を進めていくと、埴輪が大量に入った土は、もともと古墳を形作っていた盛土が、後世の破壊で崩れて堆積したものであることが分かりました。古墳を囲む溝もみつかり、その形から墳長20メートル前後の前方後円墳で、造られた時期は5世紀末頃と考えられます。
石川流域において、これほど豊富な種類の埴輪をもつ古墳がみつかったのは、世界遺産に登録されている古市古墳群(藤井寺市・羽曳野市)を除くと初めてです。古墳の規模こそ小さいものの、同古墳群の埴輪と比べても全く見劣りしません。
出土遺物は整理コンテナで50箱近くにも及び、接合作業が現在も進行中です。人物埴輪は顔の形はわかりませんが、土器を捧げ持つ巫女や、弓を持つ武人であることがわかりました。家・盾形埴輪は、全体の形が明らかになりつつあります。今後の整理作業の進展にご期待ください。

接合中の盾形埴輪

写真:接合中の盾形埴輪

​(令和5年3月号)     

*過去の広報連載記事はこちら

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