ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
富田林市公式ウェブサイトトップページ > 子育て・教育 > 小・中学校 > とっぴーと読もう!富田林市読書感想文コンクール受賞作品紹介

とっぴーと読もう!富田林市読書感想文コンクール受賞作品紹介

印刷用ページを表示する掲載日:2024年2月29日更新
<外部リンク>

とっぴーと読もう!富田林市読書感想文コンクール受賞作品を紹介します!

​ 2月1日、Topic(きらめき創造館)でとっぴーと読もう!富田林市読書感想文コンクール表彰式が開催されました。同コンクールは、子どもたちの読書活動の推進とさらなる学習意欲の向上を目的に、市内在住の小・中学生を対象に、毎年開催しているものです。

 今回は、2,895 作品の応募があり、その中から市長賞・教育長賞各3作品、とっぴー賞15作品が選ばれました。
表彰式では、代表者の感想文が本人の朗読により披露され、温かい拍手に包まれました。また、表彰状の授与では、緊張しながらも子どもたちに笑顔が見られました。

 それでは、受賞作品のうち、市長賞、教育長賞を受賞した6名の皆さんの作品を紹介します。

 受賞者の皆さん、あらためまして、おめでとうございます!!

〜市長賞受賞作品〜

 伏山台小学校 3年 葛目 彩芭(くずめ いろは) ※「葛」の中は「匕」になります。

  給食ってほんまありがたいな

 私の家族は5人です。家族みんなお昼ごはんは、給食を食べています。パパとママは、小学校ではたらいているので、その学校で給食を食べ、弟と妹は、ほ育園で給食を食べます。そして、私は学校で給食を食べています。
夏休みに入ったので、私は朝から学童に行きます。学童では給食がないので、ママは、毎朝おべん当を作ってくれます。ママが作ってくれるおべん当は、私のすきな物しか入っていないので、とてもおいしいです。学校がはじまっても、ずっとおべん当がいいなと思っています。でも、ママとパパがよく、
「給食ってほんまにありがたいなあ。」
と、話しています。私は、毎日おべん当を作るのが大へんだから、そう言っているのかなと思っていました。
 この「給食室のいちにち」という本には、私たちが毎日食べている給食が、どんな風に作られているのかが書いてありました。毎日食べている給食のことなのに、知らないことがたくさんあっておどろきました。
それは、8人で450人分の給食を作っていることや、お休みの多いクラスから他のクラスに分けていること、調理員さんがそれぞれのたん当に分かれて作っていること、校長先生が一番に給食を食べていることなどです。
その中でも、私が一番おどろいて、なるほどなあと思ったことは、作った給食を二週間れいとうほぞんすることです。万が一食中どくなどがおこった時に調べるためだそうです。
 私の通っている小学校でも同じなのか気になって、パパに聞いてみると、
「富田林は、給食センターから運ばれてくるんちゃう。」
と、言われました。そういえば、銀色のコンテナを運んでくるトラックを見たことがありました。本に出てくる給食室と富田林の給食センターでは、どんなちがいがあるのか、ぎ問に思ったのでインターネットで調べてみました。
すると、ほとんど同じでした。とくに同じだなと感じたところは、手をていねいにあらったり、野さいを三回もあらったり、食きを消どくしたり、せいけつにするところです。私たちが安全に給食を食べられるように、気を使ってくれていました。
 もう一つは、時間を気にして作ってくれているところです。私たちが、いつも同じ時間に給食を食べられるのは、調理員さんたちが時間を見ながら、一生けんめい作ってくれているからだと分かりました。
私はこれから、給食を食べるとき、食べられるりょうにへらすかもしれないけれど、ぜったいにのこさないようにしようと思いました。そして、この本の山川さんを思い出して、心をこめて、「いただきます。」と、「ごちそうさまでした。」を言おうと思いました。
ママとパパが言っていた、「給食ってほんまにありがたいなあ。」という言葉が、少し分かったような気がしました。

 寺池台小学校 5年 永田 小瑚愛(ながた ここな)

  「普通」じゃなくても

 「魔女たちが殺されたのは、人とちがったからです。」
 これは、主人公のアディが、かつてスコットランドや世界じゅうのあちこちで、魔女の疑いをかけられ、処刑された人たちのことを言い表した言葉だ。私は、むかし罪のない人が人とちがっただけで、魔女として処刑されたことを知り衝撃を受けた。
 私は、エル・マクニコルによって書かれた「魔女だったかもしれないわたし」という本を読んだ。この本は、自閉の少女アディの物語だ。アディは、自分が人とちがうのでふつうの人になりすます仮面をかぶって生活をしていた。それでも、クラスの同級生や担任の先生に仲間はずれやいじめを受けていた。
 ある日、授業で「魔女裁判」のことを知り、その時代に生きていたら、自分も魔女として処刑されていただろうと思い、ショックを受ける。そこで、唯一の親友オードリーと力を合わせ、魔女として処刑された人たちのために慰霊碑を作ることを提案する。親友のオードリーと協力してビラを配ったり、寄付を集めたりして、何度も街の人たちに訴えかける。そしてついに、三度目の演説で、自分が自閉であることを告白し、みんなから賛同を得て、慰霊碑を建てる、という物語だ。
 私が、この本で最も考えさせられたシーンは、「魔女裁判」の授業のシーンだ。先生が、人とちがうと裁判にかけられて有罪にされる可能性があったと説明した時、クラスメイトのエミリーが、アディのことを火あぶりにされるとからかったシーンで、私は胸がきゅうっと痛くなった。
クラスの人と少しちがうだけで、からかうなんてひどいと感じた。私は、その時、中学生の兄のバスケットボールの試合の応援に行った時のことを思い出した。兄の試合の相手チームに見た目は女子だけで男子の選手がいた。応援に来ていた保護者の人たちが、その選手のことをからかっていた。その選手は見た目は女子だけど普通に一生けん命プレーをしていた。私は、その選手とアディが同じだと感じた。二人とも人と少しちがうだけなのだ。
 私は、父から学年で左利きの人の数と同じくらいLGBTの人はいるんだよ、と教わった。しかし、数が多いから「普通」で、「普通」だから大丈夫というのはまちがっていると私は思う。アディのように自閉の人は世の中にたくさんいる。しかし、たくさんいるから「普通」で、「普通」だから大丈夫なのではなく、「普通」じゃなくても認め合うことが大切だということをこの本を読んで、考えさせられた。私は、これからたくさんのさまざまな人と出会うだろう。その一人一人の個性を認め合い、誰もがくらしやすい社会にしていきたいと心から思う。

 

 第二中学校 1年 山本 菜花(やまもと ななか)

  「わたしの苦手なあの子」を読んで

 私は、文字を読むのが苦手で、本があまり好きではありませんでした。どんな本でも、数ページであきてしまい、なかなか本に集中することができませんでした。
そんな中で、「わたしの苦手なあの子」だけは何度もくり返して読めるほど、興味を持ちました。
本の内容は、すました態度で、だれとも仲良くなろうとしない「本間リサ」と、気弱だが、いざとなったら率先力がある「ミヒロ」の成長と友情のストーリーです。
 この本は「リサ」と「ミヒロ」の、二つの視点でわかれていて、「ミヒロ」の視点と、「リサ」の視点を照らし合わせて読むことができ、場面ごとに、二人の心情の変化がより分かりやすくなっているという点があり、私がこの本をあきずに読めた理由の一つです。
 この本を読んで、印象に残ったことは、「リサ」がかかえたやけどの傷と心の傷。それぞれの家庭の悩みを、お互いが理解し、こくふくしていったところです。特に心に残ったセリフ、場面は、「リサ」が、「傷跡も含めて私なんだって、胸をはって歩きたい」という場面です。なぜなら、私も「リサ」と同じように消えることのない傷跡があるからです。小学3年生ごろに自分の不注意で、大けがを負い、消えることのない傷跡が残りました。
 さらに、生まれつき、左手の親指のつめのほくろが、小さい時は本当に嫌で、「リサ」のようにかくして生活していました。
 しかし、「リサ」が言った、「傷跡も含めて私なんだって、胸をはって歩きたい」というセリフを聞いて、「傷跡やコンプレックスも全部私だから、かくさなくてもいいんだ。」と思えるようになれました。
 もう一つ心に残ったことがあります。それは、「ミヒロ」のおじいちゃんが言った言葉で、「グズグズ悩むより、声をあげたほうが生きやすいと知ったんだ。」というセリフです。現在の社会では、色々な悩みをかかえている人が多く、誰にも相談することができずに苦しんでいる人に、ぜひ聞いてほしいと思いました。人生、山あり谷ありです。一生の中で悩みがない人なんていないので、自分が悩んだとき、一人ではどうしようもないときには「グズグズ悩むより、声をあげたほうが生きやすいと知ったんだ。」という言葉を思い出してみようと思いました。
 この本を読んで、学びになったことは、勇気を出して一歩を進めば、新しいことにきづくことができ、何かが変わるということ。声をあげてみれば、必ずだれかが手を差し伸べてくれること。引きずる過去があったとしても、その過去を忘れさせてくれる人がいるということ。これからも、ずっと、人と人との関わりを大切にし、自分のそばにいてくれる人を大切にしようと思いました。

​〜教育長賞受賞作品〜

 彼方小学校 2年 西田 宗朔(にしだ しゅうさく)

  プラスチックのうみ

 ぼくは海がすきです。魚やシャチ、つり、ひがたで生きものをかんさつしたり、とにかく海も海の生きものも大すきです。海には、いろんな生きものがいて、いつもワクワクします。でも、海に行くとゴミもたくさんおちています。そのほとんどがプラスチックばかりで、海なのに生きものよりプラスチックの方が見つけやすいです。ペットボトル、ウキ、ビニールぶくろ、はっぽうスチロール、ビニールポット、ペンや日本ごではない文字のゴミもありました。
 プラスチックにもいろんなしゅるいがあり、がいこくからきたものもありました。
「プラスチックのうみ」にでてくる海は、プラスチックやマイクロプラスチックがただよっています。また、あみにからまっているアザラシ、プラスチックをたべようとするクジラ、プラスチックをたべた魚とそのゴミをたべた魚をたべようとするアザラシがでてきたり、大きなごみもただよっています。
 ゴミもんだいは前から知っていましたが、海の中はそうぞうしにくく、本を読んでこれが今おこっていることだと思うといやな気もちになりました。とくに、まわりがプラスチックだらけの海で海水よくをたのしむ人びとがでてくるページがあります。よくこんな海でたのしめるなぁと思いましたが、ぼくが海水よくに行った海も、気づいていないだけで海の中にはたくさんプラスチックがただよっていたかもしれません。
 本で、27年後には海にすむ魚のおもさよりも海にただようプラスチックの方がおもくなるとありました。ぼくが大人になった時は、海はもっときたなくなるんだなと思いました。
 今年の夏も海でたくさんあそびました。これからもいっぱいたのしみたいです。そのためにぼくができることは、ゴミはゴミばこにすてる。分べつやリサイクル、ものを大じにしてできるだけゴミをださないことだと思いました。また、今の海のことを知ったり、知ってもらうことも大じなことだと思いました。
 本では、海でせいそうかつどうをしたり、海にただようプラスチックやあみをかたづけます。そして、きれいになった海を生きものたちがのびのびとおよいでいます。でも、マイクロプラスチックはまだ海をただよっています。このさい後のページを見て、かんぜんに海をきれいにすることはむずかしいかもしれないけれど、すこしでもどうすればよいかを考えて行どうすることも大じだと思いました。

 富田林小学校 6年 田守 真菜(たもり まな)

  自分らしく生きること

 この本の主人公・レオナルドは、ライオンというだけで、「どうもう」であることを求められました。しかし、友だちになったアヒルのマリアンヌを一緒に、言葉を使って他のライオンたちに次のことを伝えました。
『きみはきみらしく、ぼくはぼくらしく』
 まず、この言葉がとてもすてきだと思いました。そして、私は、いつも学校や家で「自分らしく」しているのかな?と考えてみました。ほかの人に無理をして合わせたり、がまんばっかりしているわけではないので、きっと「自分らしく」すごせているのだと思います。それに、今までに「自分らしく」すごせているかなんて、考えたこともありませんでした。
 最近テレビで、LGBTの特ちょうをもつ人たちの話題をよく見ます。その人たちは、悲しい様子で「本当の自分をかくして生きるのはつらい」と言っていました。これが、「自分らしく」生きられていないということかな、と思いました。周りの多くの人が「これは当然だ」という考えを持って生きているから、その人たちは「自分らしさ」をかくして、がまんしているみたいでした。
 もし周りの人が、いろんなタイプがいることを受け入れられたら、生きることがつらいなんて思わなくてもよくなるかもしれません。「自分らしく」生きるためには、周りの人の考えに、大きくえいきょうされることに気がつきました。
 そして、この本でもう一つ私が気に入ったのは、あなたは「○○で当然!」ということを、無理やりおしつけてきたライオンたちにレオナルドとマリアンヌは、自分たちの好きな詩を作って、自分の気持ちを相手にていねいに伝えたところです。もし私が「あなたは○○でいるのが当然!」なんて言われたら、怒って、思いついたままの言葉で文句を言うかもしれません。
 でもお話のように、相手の話を聞いて、それとちがっていても、自分の気持ちをていねいな言葉で伝えられるようにすれば、相手も嫌な気持ちにならずに、無理やりおしつけてくることがなくなるのかもしれないと思いました。相手に自分の気持ちをきちんと伝えて、知ってもらうことができれば、「自分らしく」生きられる世の中を作っていくことができるかもしれないです。
 まずは、(1)相手の見た目やふんいきで勝手なイメージを決めつけない(2)話をして、気持ちを聞いて、否定しないで、相手を知っていく(3)考え方がちがっていても、ていねいな言葉で気持ちを伝える。この3つを心がけていきたいです。
 「自分らしく」生きられたら、幸せだし、楽しいし、自分の心が健康になると思います。ぜひ、この本をたくさんの人に、知ってもらいたいです。

 葛城中学校 1年 小森 恭子(こもり きょうこ)

  魔女修業は簡単じゃない

 「魔女修業って一体どんなことをするんだろう?」
 私はわくわくしながらページを捲った。
 「西の魔女が死んだ」は、登校拒否になってしまった中学一年生の女の子まいが、西の魔女と呼ばれるおばあちゃんのもとで一ヶ月間の魔女修業をする話だ。
 私は初め、魔女修業とは超能力や予知能力のような特殊な力を鍛えることだと思っていた。でも、おばあちゃんがまいにやらせたのは、早寝早起きをして、きちんと日課をこなして、規則正しい生活を送ることがだった。どうしてそんな当たり前のことをさせるのかと不思議に思ったが、おばあちゃんの言葉にその答えがあった。
 「この世には、悪魔がうようよいて、精神力の弱い人を乗っ取ろうとする。悪魔に負けない魔女になるために一番大切なのは意志の力、自分で決める力。自分で決めたことをやり遂げる力。」
 私は自分で物事を決めるのが苦手だ。自分のことなのに考えるのが面倒臭く感じる時がある。「どっちでもいいから、決めて。」と人に丸投げしてしまうことも多い。そんな私には、おばあちゃんの言葉は耳が痛かった。だから、私も魔女修業をした方がいいのかな、と思い始めた。
 この本の中で一番印象に残った場面がある。それは、近所のゲンジさんを悪い人だと思い込んだまいが、「死んじゃえばいいのに」と口にして、怒ったおばあちゃんがまいに手を上げるシーンだ。あの温厚なおばあちゃんが暴力をふるうなんて、信じられないし、びっくりした。ちょっとがっかりもした。でも、それだけまいに伝えたいことがあって、自分の思いをわかって欲しかったのかも知れない。
 そう言えば、私にもこんな経験がある。友達に悪口を言ったと誤解されて、腹が立って喧嘩になってしまったのだ。私もまいのように、怒りの感情を抑えられなかった。あの時、自分の気持ちをコントロールできていれば、喧嘩にはならなかった。普段の生活でも、自分の意思をもっと強く持っていれば、疑いの気持ちや怒りに振りまわされて、余計なエネルギーを使わずに済む場面がある気もする。
とは言え、頭ではおばあちゃんの言うことが、正しいと分かっていても、やっぱり理不尽なことには腹が立つし、おばあちゃんのような聖人君子にはなれない。それに、おばあちゃんだって衝動的にまいに手を上げたのだから、完璧な魔女ではない。
 でも、これからはせめて、自分のことは自分で決める努力をしてみようと思う。自分の決定に責任を持つことで、自分を律する力を鍛えたい。この本を読んで、私も少しだけ魔女修業ができた気がした。

おすすめコンテンツ