富田林寺内町の南端にある道標はちょっと変わっています。
場所や方角のほかに寺内町の中での「くわえせる」「ひなわ火」を禁止する文言が刻まれているのです。
この道標が建てられたのは宝暦元年(1751)。そのおよそ20年前の享保15年(1730)11月、寺内町は一里山町・富山町の全域と北会所町の西方が全焼する大火に見舞われています。
おそらく、火事の恐ろしさを思い知らされた人びとが町を火事から守りたいという思いをこめて、寺内町を通る人びとに火の用心を呼びかける道標を建てたものでしょう。
ところで、享保15年の大火の際に火が止まったところに地蔵が埋まっており、それを祀ったのが西口地蔵であるという言い伝えがあります。
寺内町の石造物は道標や地蔵のほかにもあります。「駒つなぎ」といって牛や馬をつなぎとめておくためのもので、穴の開けられた石が家の入口付近に置かれています。今と違って車がなかった頃、物資の輸送には牛や馬が使われていました。家先につながれて主人を待っている姿は、今でいえば公認の路上駐車といったところでしょうか。
アクセス 近鉄長野線 富田林駅から徒歩3分。