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推古天皇の摂政として、十七条憲法や冠位十二階の制定、遣隋使の派遣などの進んだ政治制度や文化を取り入れた聖徳太子は、生前この地を訪れ太子町にある叡福寺の北に、自らの墓をつくったといわれています。 その地を指し示す里程標が近鉄喜志駅の駅前に建てられています。 また、小野妹子の墓も太子町にあるとされており、同様の里程標が並んでいます。
アクセス 近鉄長野線喜志駅前
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