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性の多様性を認める~性的少数者への理解~

印刷用ページを表示する掲載日:2006年12月1日更新
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人権に関わる課題として、子ども、女性、高齢者、障害者、外国人、HIV感染者やハンセン病患者、刑を終えて出所した人、犯罪被害者とその家族、インターネットの悪用などがよく言われていますが、現実には、この他にも配慮すべき人権課題が数多く存在し、多種多様、複雑化しつつあります。また、それぞれの課題が複雑に絡み合い、問題解決を困難にしていることも事実です。

例えば、「性的少数者」「性的マイノリティ」の問題は、最近では新聞などメディアでよく目にするようになりましたが、言葉だけが先行し、当事者の置かれている状況は、まだまだ社会に正しく理解され、広く認知されているとは言えません。

この「性的少数者」とはなにか、またどういった問題があるのか。10月4日に行われた人権擁護委員の研修会で、大阪人権博物館(リバティ大阪)を見学し、学芸員の方からこの問題について詳しくお話を聞くことができましたので一部紹介します。

​多様な性の存在​

「性と言うと、男女の性別を表すというが多いと思いますが、それだけではないのです。性を、[からだの性]、[こころの性]、[性的指向]という3つの視点から見ていくことができるのはないかと思います。」

[からだの性]と[こころの性]

「例えば、男で生まれてきたら、男であることがあたり前だと思われてきました。しかし、そうではない人が出てきた。というよりも、以前からいてたと思うのですが、その存在が明らかになってきたということです。男として生まれてきたけれど、女であると思う人たちであるとか、また、その反対であったりします。これは[性同一性障害]という言葉として現れてきたと思います。また、男で生まれてきたけれど、日によって自分の心のありようが変わる人や、男とも女とも言われてたくないという人もいます。このように、心のありようにも性別があるのだということが分かってきました。」

[性的指向]

「自分の性的指向がどこに向いているのかということでは、今までは異性愛に向くのが当然でした。これに対して、同性愛の人や性別にとらわれない人の存在が明らかになってきました。今までなら、性別には男女の二つしかなく、心の性別も男なら男、女だったら女、性的欲求も男だったら女に、女だったら男に向くというのが当然のこととされてきたので、性的欲求が誰に向くかということは考える必要もなかったと思います。

だけど、性というのは決まりきったものではなく、すごく多様なものだということが明確になってきました。これを、こういう人もいるんだと他人事で終わってしまうのではなく、自分自身に関わる問題として考えることがすごく大事です。

私自身も、男だからこうしなきゃいけないというのは好きじゃありません。だけど、この社会は、基準から外れるとあまり許されない社会だと思うのです。それで息苦しさを感じ、性的少数者は、それから全く外れているということで差別を受けることがあります。これは、性とはこうでなければならないという考え方があるからであって、それは自分自身が作ってしまっているかもしれないし、被害を被っているかもしれない。まさに、自分自身が関わっているはずなのです。」

​​性と差別~世間のあたり前?

「この社会では男と女しかいないという考え方があります。しかし、例えば、半陰陽といって、両方の性をもっていて生物学的に男女という区別ができない人だと、思春期に自分の性を考えたときに、異常じゃないのか、人と違うんじゃないかとか、自分が何者なのか分からなくなることがあります。生まれた最初の段階で、男か女かに分けなければならないという考え方が余りにも強固で、それが人の人生を大きく左右することがあるのです。

アンケートとかトイレでも男女に分けられる空間があって、あなたはどちらなのかということが決められています。それに自分自身に違和感がなければいいですが、そうでない人にしてみれば、逐一男か女か問われる社会であると言えます。

また、異性愛であることがあたり前であるということが、小さい頃から決められていますが、性的指向が多様だということを考えれば、おかしいわけです。また、男女の性別役割や、男だったら男らしく、女だったら女らしくという価値観というのも、子どもの頃から日常会話として溢れているのではないかと思います。」

​​複雑に絡み合う

「この問題は、性別による役割、家族、女性、障害者の問題とも関わりがあります。性同一性障害でいえば、車椅子用のトイレは男女別に分かれていないところが多く、自分たちには使いやすいということで利用することが多いのです。しかし一方で、障害者の中では、なぜ男女に分かれていないのか、障害者に男女はないのかという性別を無視されているということで、分けてほしいという意見もあります。」

人権擁護委員さんの感想

参加した人権擁護委員の方からは、「今なお存在する差別と人権に関する問題の多さに驚いた」「人権というものをもっと広範囲にグローバルにとらえないといけない」「すべてのことが人権につながる今日、少しでも理解につながった」「異性愛が常識の社会の中で、少数者ながら多様な性の価値観を自ら訴える方々を理解し、自然なかたちで受け入れられる社会の大切さを感じた」といった感想がありました。

理解しあうために

当事者たちの表現

このように性的少数者の当事者たちは、世間の大多数でないばかりに、偏見や差別的な扱いを受けてきました。そして、自分たちのことを演劇や音楽、テレビなどを通して自己表現し、性とは多様なものであり、決して誰にも決められるものではないということを、自分自身の表現方法で訴える活動をしてきました。そのような地道な活動によって、性と差別に関わる問題とか、性別の多様性や性的指向の問題が明らかになってきたと言えます。

博物館では、性的少数者のさまざまな活動として、東京で活動する劇団や大阪を中心に結成されたグループ、また札幌で行われたパレードの様子、関西で開催された性的少数者に関わる映画を集めた映画祭など、映像も交えて総合的に紹介されています。また、当事者の主体性を重んじ、自分たち自身の言葉で主張したり、コメント、解説しているのがとても印象的です。

​​自分自身の問題として

日本の社会の現状として、基準から外れるとあまり許されず、偏見や差別の対象として見られてしまうとことがあります。社会の基準とは何なのか、大多数であれば基準になるのか、また、基準から外れてしまった人は、なぜ差別や偏見を受けなければならないのでしょうか。

性的少数者に限らず、差別や偏見といった問題が複雑化している現代社会では、そういう人もいるんだと他人事として見るのではなく、自分自身もどこかで関わっているという意識が必要なのではないでしょうか。また、それと同時に、この社会が、性に関わってどういった価値観や考え方を作ってきたのかということも問われてきているのではないかと思います。​

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