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令和7年度 親子平和の旅

印刷用ページを表示する掲載日:2025年6月20日更新
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親子平和の旅

本市では、次世代を担う若い人たちに戦争の悲惨さや核兵器の非人道性を伝え、非核平和の願いを広げることを目的に、毎年8月6日に開催される「広島平和記念式典」に、親子を市民代表として派遣しています。

令和7年度は、戦後80年、被爆後80年の節目の年ですので、長崎市へも親子を市民代表として派遣します。

令和7年度 親子平和の旅(広島市) 報告

置田久二さん、置田陽愛さんに、市民代表として広島平和記念式典に参列いただきました。

また、市民のみなさんが平和への祈りを託した折り鶴と、市長の平和メッセージを広島へ届けていただきました。

陽愛さん・千羽鶴原爆ドーム前被爆電車平和メッセージ献花原爆の子の像

親子平和の旅に参加しての感想

置田 陽愛さん(小学6年生)

私は、親子平和の旅で初めて広島県に行きました。初めて見た原ばくドームは、骨だけになっているものでした。一発の原子ばくだんが落とされただけであんなに立派だった建物が骨だけになってしまう、それほど原子ばくだんはおそろしいものなのだと実際に目にしてくわしく分かりました。原ばくの子の像のモデルの佐々木禎子さんは二才の時に被ばくして、何年もたってから白血病が見つかり亡くなったという話を聞きました。知らない間に放射能を浴びていて亡くなる人がいる核兵器は、絶対に持ってはいけないと強く思いました。

平和資料館を見学して、放射能を浴びたせいで皮ふが焼けただれている絵や、全身にやけどを負いどこからどこまでが皮ふなのか分からない男性の写真や死体の山の絵、放射能を浴び皮ふの色が変色した絵など、絵も写真も見るだけでとてもこわかったです。そのこわさを知ったので、二度とあんなにおそろしい戦争をしてほしくないと感じました。戦争により、いつ原子ばくだんが落とされるか、何をしている時か分からないからとてもきょうふだなと思います。原子ばくだんが落とされたせいで、両親を亡くした子どもがたくさんいることや、私と年の近い子たちがたくさん亡くなっているのがとてもかわいそうです。アメリカは原子ばくだんにたくさんのお金をかけたそうです。そんなものにわざわざ大金をかける必要はないと思います。原子ばくだんを落として、早く戦争を終わらせようというアメリカの考えは間違っていると思います。

戦争はどんな理由があっても絶対にやってはいけないと思います。私の身近な人にも話し、伝えていきたいです。広島に行き、とてもいい経験になりました。ありがとうございました。

置田 久二さん

今回初めて広島を訪れる娘には、原爆の被害を直接見て肌や心で感じて欲しい、そして私自身もより詳しく戦争の惨禍について学びたいと思い、事前に一緒に学習してから「親子平和の旅」に臨みました。

現地では、原爆ドームや平和記念資料館、被爆電車や爆心地から一番近かった本川小学校の資料館、原爆の子の像の慰霊碑などを見学しました。市民の皆さんによって折られた千羽鶴も奉納してきました。また、平和記念式典に参列し、青少年平和文化イベントでの平和・原爆をテーマとした演劇を観たりしました。

平和記念資料館では、展示してある絵や写真を一枚一枚見ていきました。原爆投下前の日々の暮らし、娘と歳の変わらない子ども達のあどけない表情。そして原爆投下後の一変してしまった広島の街の様子。島病院上空約六百メートルで炸裂したエネルギーの塊。その塊はまるで太陽がそこに現れたような熱を持ち、大量の放射能を放ち、爆風により建物や人を押し潰し、投下後に降った黒い雨や放射能の影響により、人々の体を蝕み様々な症状をもたらしました。すぐに亡くなってしまう人もいれば、長く生きたけれども死ぬまで入退院を繰り返し亡くなった人、今なお病気を抱えながら生活をしている人や、原爆の症状による差別に苦しめられた人がいること、そういった長年に渡る人々の苦しみを知る事ができました。

現在の広島の街はとても活気があり、住人や観光客で賑わっています。また、高層ビルがたくさん立ち並び近代的な街へと変化を遂げました。しかし、原爆の投下があったというフィルターを通して見ると、街の至る所にその痕跡が残されていることが分かりました。

私はこの旅で、大きく考えさせられた出来事が二つありました。一つめは、平和記念式典での広島県知事の言葉にあった核抑止に対する考え方です。知事は核抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念であり、普遍の物理的真理ではないと話されていました。現在日本を含む世界では、核兵器を保有する事で他国からの侵攻を防ぐことができるという考え方の人もいます。核を抑止するためには核を持つしか無いと考える人がいるかもしれないですが、それでは世界中から核が無くなるどころかますます増えてしまいます。また、核を持っているから相手は攻めてこないだろうと考えても、必ずしもそうはならない事を過去の歴史が証明しているという事です。核保有ではなく核兵器廃絶に向けて、私たち日本人が先頭に立ち世界に訴え続けていかなければならないと痛感しました。

二つめは、広島県立舟入高等学校演劇部による平和劇「咲かせ、笑顔の花。」で、台本を考え主役を務めた中山未夕さんの劇に込められたメッセージです。そのメッセージは「心に余裕を持つ事で周りに優しくできる。優しくいられる事で周りを笑顔にできる。笑顔にする事で幸せが広がる。幸せの無限ループを作る。」といったものでした。私はこの旅に行く前に、世界から戦争を無くす、核兵器を無くす、そのために何ができるのだろう。と考えていましたが、その答えがこの劇に詰まっていました。戦争は最大の人権侵害です。その戦争を世界から無くしていこうと訴えていくと同時に私にできる事として、家族や親戚、友人や同僚、近所の人や地域の人など身近な人に、心に余裕を持って接し、少しでも幸せを届けられたらと思いました。そしてそんな輪が広がり、みんなで「幸せの無限ループ」を富田林市から作っていけたらいいなと思います。

今回の親子平和の旅により、原爆がもたらした悲惨な現実や平和である事のありがたさを深く学ばせていただきました。このような貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。今後もこの経験を活かし、身近なところから平和な世界を作る一助になりたいと思います。​

​​令和7年度 親子平和の旅(長崎市) 報告

辻嗣美さん、辻優さんに市民代表として長崎平和祈念式典に参列いただきました。

また、市民のみなさんが平和への祈りを託した折り鶴を長崎へ届けていただきました。

辻さん・千羽鶴辻さん・祈念像前辻さん・式典

親子平和の旅に参加しての感想

辻 優さん(小学5年生)

お母さんと富田林市民代表で長崎へ行きました。長崎は原爆が落とされた所で、私は初めて行きます。

平和公園に行ってみんなが折った千羽づるを市長たちととどけました。私もつるを学校で祈りをこめて折りました。

平和の像や様々なモニュメントも見ました。平和の像は、右手は原爆を示して、左手は、平和を、顔は戦争の犠牲者の冥福を祈っているそうです。平和の像が思っていたより大きくて驚きました。原爆が落ちた場所にも行きました。

原爆資料館では、11時2分で止まっている時計や、教会ががれきの山になっている様子や、原爆の模型や、ガラス、ビン、コンクリートなどが溶けたり曲がったりしている展示を見ました。一発の原爆で多くの被害が出ていて、その後も後遺症が残ったりしていて、原爆は本当によくない物だと思いました。

そして、被爆八十周年平和祈念式典にも参列しました。黙とうの時間では、亡くなった方へ安らかにと言う気持ちと、戦争が無くなってほしいと祈りました。

この2日間で、戦争は、二度としたらいけないことと改めて思いました。平和は大切だから他の人にも私の思いを伝えたいと思いました。

辻 嗣美さん​

この度、長崎への親子平和の旅に、私と子どもの二人で参加させていただきました。被爆地である長崎に行くことで、戦争を知り平和を考える子どもにとっての学びになり、また私自身も改めて平和とは何なのかを考える機会になればと思い、応募させていただきました。

現地では、富田林市民代表として、𠮷村市長と一緒に、二千羽の千羽鶴を捧げて参りました。千羽鶴の重さが、鶴を折られた一人ひとりの思いのように感じました。

平和公園内にはいたる所にモニュメントが建てられており、原子爆弾落下中心地碑や平和の泉、平和の像、被爆から奇跡的に復活した大クスなど見学しました。

なかでも、原爆資料館では、原爆実物大模型や投下された十一時二分で止まったままの時計、熱風で溶けたビンや瓦など見ることができました。後遺症についての展示もあり、私も子どもも原子爆弾や戦争の残虐さや恐ろしさを改めて感じることができました。子どもも終始真剣な眼差しで見学していました。今尚苦しまれている犠牲者の方のことを思うと、本当に心が痛みます。

また、被爆八十周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にも参列させていただきました。被爆者合唱からはじまり、献水・献花、市長による長崎平和宣言、被爆された方による平和への誓いなどが行われました。海外の方や学生の方も多く参列されていました。千羽鶴のように、一人ひとりの平和への願いが広がり、世界全体が地球市民として、核抑止でなく、核兵器や戦争のない世界になってほしいと思いました。

今回、親子で参加させていただき、実際に現地に行き、目で見て感じたこと一つひとつは、本では学べない貴重な体験になったと思っています。戦後八十年という節目の年に、このような機会をいただけたことに感謝致します。本当にありがとうございました。

​​出発前(市長との懇談)

令和7年度では、広島市へ置田久二さん・陽愛さん(小学6年生)親子を、長崎市へ辻嗣美さん・優さん(小学5年生)親子を派遣することに決定しました。

7月30日(水曜日)の懇談では応募の動機や抱負などが語られ、市長からは、市民のみなさんが平和への祈りを託した折り鶴と、市長の平和メッセージをお渡ししました。

市長との懇談1市長との懇談2市長との懇談3

親子平和の旅の参加者を募集します ※終了しました

令和7年度 親子平和の旅の参加者を募集しますので、ぜひご応募ください。

※広島市・長崎市において各自治体の座席数が調整されます。​​座席が確保できない場合、派遣を中止することがありますので、あらかじめご了承ください。

R7平和の旅

概要

概要
  広島市 長崎市
日程

令和7年8月5日(火曜日)から8月6日(水曜日)

令和7年8月8日(金曜日)から8月9日(土曜日)
行き先

広島平和記念公園<外部リンク>
広島平和記念資料館<外部リンク>

平和公園<外部リンク>
長崎原爆資料館<外部リンク>
対象者 市内在住の小学5年生以上の人とその保護者
定員 2人(親子1組) 2人(親子1組)
費用 宿泊費と往復交通費は市負担(旅行保険代、その他手数料等にかかる費用は自己負担)

内容

  1. 市民代表として、「広島平和記念式典」へ参列、「広島平和記念資料館」の見学または「長崎平和祈念式典」へ参列、「長崎原爆資料館」の見学
  2. 派遣後、感想文の提出(親子2人分、それぞれ400字詰原稿用紙2枚程度)
  3. 出発前、市長との面談
  4. 市長の平和メッセージ、及び昨年度開催の「平和を考える戦争展」で市民が平和を願って作った「折り鶴」を現地に引き渡し

応募方法

応募フォーム、またはメール、郵送にて、「住所」「氏名(お子さまと保護者様)」「お子さまの年齢・学年」「電話番号」「メールアドレス」「参加の抱負」「広島市または長崎市のどちらを希望か」を記入し、下記の宛先までご応募ください。

※応募締切 令和7年6月20日(金曜日)【消印有効】

宛先
応募フォーム 応募フォームはこちら<外部リンク>
メール jinken@city.tondabayashi.lg.jp ※件名は「親子平和の旅」としてください。
郵送 〒584-8511 富田林市常盤町1番1号 富田林市役所 人権・市民協働課「親子平和の旅」係

注意事項

  • 応募は、1家族につき1回限りです(以前に参加された方はご遠慮ください)。
  • 応募者多数の場合は抽選し、結果は後日通知します。

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