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富田林市指定文化財第2号 廿山南古墳出土遺物一括

印刷用ページを表示する掲載日:2020年4月24日更新
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【名称】 廿山南古墳出土遺物一括(つづやまみなみこふんしゅつどいぶついっかつ)

【種別】 考古資料

【内訳】 鉄製大刀(たち)・刀子(とうす)・鏃(ぞく)、金環(きんかん)、玉類、須恵器(すえき)、土師器(はじき) ほか

 

廿山南古墳とは


廿山南(つづやまみなみ)古墳(位置図)は、6世紀前半(古墳時代後期)に造られた直径約22mの円墳です。市域を縦断する石川の西岸には羽曳野丘陵があり、平地を見下ろす高所にさまざまな古墳が造られていたことが分かっています(写真)。この古墳は、2001(平成13)年に身体障がい者療護施設の建設に伴う試掘調査で、初めて発見されました。現在、古墳は残念ながら残っていませんが、詳しい記録を残すための発掘調査を行ったことにより、全貌が明らかになりました。

廿山南古墳の位置図

廿山南古墳の位置図

廿山南古墳上空の写真

発掘調査当時の廿山南古墳遠景(中央の木がない部分が古墳。北西から撮影。)

埋葬時のままの状態の副葬品


古墳の頂上には、地域の有力者と考えられる人物が副葬品とともに埋葬されていました(写真上)。穴を掘り、木棺を据えて埋め戻すタイプの埋葬施設でしたが、棺や人骨は残っていませんでした。棺の中央部分には赤色顔料がみられ、付近には碧玉(へきぎょく)や琥珀(こはく)、ガラスといったさまざまな材質の玉が散らばっていました(写真下)。中でも重層ガラス玉は、西方アジアからもたらされた希少なものです。また、金環(金製の耳飾りもしくは指輪)や鉄製の大きな刀も見つかりました。棺の外と思われる場所では、鉄製の鏃(矢じり)や刀子(小刀)、須恵器や土師器といった土器が見つかりました。また、棺を埋め戻す途中や、埋め戻した後にも須恵器が置かれていたことが分かりました。古墳は後の時代に乱掘を受けていることがほとんどですが、廿山南古墳では副葬順序や位置が分かる状態で保たれていたため、重要な成果が得られたといえます。

廿山南古墳出土状況

埋葬状況

見つかった玉類と金環

見つかった玉類と金環

廿山南古墳の重層ガラス玉

廿山南古墳の副葬品で特に注目されるのが、18点以上見つかった重層ガラス玉です。直径は3ミリ前後と非常に小さく、最大で7つの連珠状となっています(写真上‐右)。内部は2層構造になっており、金属の箔を貼り付けた細いガラス管に、太いガラス管をかぶせてから、工具でくびれを入れています(写真下)。国内での重層ガラス玉の出土例をみると、太形から細形までさまざまな径のものが知られていますが、廿山南古墳のものは最も細形のタイプで、類例の少ないものと言えます。また、一つの古墳から出土した量としては突出しています。2016(平成28)年に、奈良文化財研究所と共同で科学分析を行ったところ、内部の箔が銀箔であることや、シルクロードを通ってもたらされた西方アジア(西アジアでも東寄りの地域から、中央アジアにかけての地域)産の玉であることが分かりました。詳細な科学分析で産地を絞り込めたことにより、その価値はさらに高まったといえます。

 

重層ガラス玉のX線写真

玉の拡大写真(左)とエックス線写真(右)

銀箔のようす

銀箔のようす(青く見えている部分)

古墳が伝えるもの

廿山南古墳は、古墳の規模だけを見ると決して大きいとはいえませんが、羽曳野丘陵上でこの時期に造られた古墳としては、唯一といってよい存在です。得られた調査成果には、当時の葬送儀礼や対外交流を知るうえで、多くの情報量が含まれています。本市ではこれらの貴重な資料を後世に伝えていくため、令和2年3月30日に市指定文化財第2号として指定しました。

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