第11分団
沿革
現分団の前進となる組織の名称 彼方消防団
彼方地区は、消防署が出来るまでに3台のポンプ車を購入しました。
2台目のダイハツの3輪車(バタバタ)は、彼方農協が全焼したときに活躍しました。その後クライスラー(2輪車でV8エンジン)をけん引して当時ガソリンを貯蔵してあった府民センター(当時の地方事務所)が出火した際、消火活動に力を発揮しました。堺の浜寺にあった米軍から購入したようです。3台目は日産ジュノーでした。彼方消防団が出来た時は、滝谷不動尊に消防倉庫がありました。現在の消防倉庫と火の見櫓も当時の彼方地区からの出資で建てられました。現在の分団員は、15名ですが当時30名ほどおられたようです。
当分団の管轄地域について、山に面した地域で地滑り地域でもあるので、台風での災害も多く、現在のように石川石川もされていなかった時代は、決壊被害も数多くあったようです。
当分団は、月3回(10日、20日、30日)のポンプ車及び乾式ポンプの放水訓練を石川河川敷で行っています。町会を出来るだけ火災から守るために住宅用火災警報器、消火器を彼方町会全建に配布させていただきました。
令和2年
6月
7月