令和6年の2月から3月にかけて、富田林市教育委員会では市域の南部に位置する大字嬉の山中で文化財調査を実施しました。この調査は山中に残る嶽山古墳群の現状確認を主な目的としたもので、富田林市史第一巻が刊行された昭和60年頃に調査されて以来、約40年ぶりの現地調査となりました。
今回の調査では、大阪府の航空レーザ測量の成果を元に、各古墳の現状確認と位置の特定を行うとともに、周辺の遺跡の可能性がある地点を現地で確認しました。また、いくつかの古墳で小規模な発掘調査を行いました。
嶽山古墳群は古墳時代後期の群集墳で、石川谷を見下ろすよう山の斜面や尾根上に23基の古墳が過去の調査で確認されています。群集墳とは比較的小さな古墳が狭い範囲に密集して築造されている古墳群で、古墳時代後期に入ると地域の有力者層が家族のお墓としてこのような群集墳を築くようになります。
写真のように航空レーザ測量の画像を見ると、多くの古墳が後世に盗掘を受け、石室が破壊されている様子が分かります。現地でも墳丘中央が大きく掘られ、周囲に石材が散乱していました。過去の調査でも副葬品は見つかっていません。では、これ以上分かることはなにもないのでしょうか。大きな石材が抜かれていたとしても石室の床面は残っていれば、細かな遺物が残っている可能性があります。盗掘による穴も石室の向きを正しく示しているとも限りません。
今回の調査では、将来の本格的な調査につながっていく発見がいくつもありました。調査の詳細は令和7年3月刊行予定の報告書に記載予定です。こうご期待!
(令和6年5月号)
嶽山17号墳の外観
嶽山古墳群の航空レーザー(CS立体図)
中央の一番大きな古墳が嶽山17号墳(周辺にも小さな古墳が点在している。)