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龍泉寺

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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所在地:龍泉

市の南東、嶽山(だけやま)中腹にたたずむ、薬師如来を本尊とする真言宗の寺院で、寺伝では594年、蘇我馬子(そがのうまこ)により創建されたと言われています。

中世には多くの子院(塔頭)が立ち並ぶ大寺院でしたが、南北朝以降の戦乱に巻き込まれて荒廃し、現在はひっそりと森の中に建つ山寺となっています。

庭園

本堂西側の境内にある庭園は、静かに水をたたえた池を中心に、東西45メートル、南北60メートルの大きさをもつもので、池の中央には3つの小島があり、それぞれに小さな社をまつっています。

この庭園は浄土式庭園の一種であるとされていますが、小島に立つ社の形態から平安時代のものとする説もあります。

昭和56年に国の名勝に指定されています。

庭園

仁王門

戦乱の中さいわいに残った鎌倉時代の門で、中世の八脚門としては大阪府内唯一です。昭和39年から行われた大修理によりほぼ建立当時の形に戻されています。

門に収められた金剛力士立像の胎内には、建治元年(1275年)の年号が残されていました。このことから、この金剛力士立像や仁王門のつくられた年代を推定できます。

昭和36年に国重要文化財に指定されています。

仁王門

木造金剛力士像

仁王門(重要文化財)に収められている金剛力士像は、胎内に残された記録により、建治元年(1275)に造られたことがわかっています。

これは、仁王門の建立年代を知る手がかりともなっています。

この金剛力士像は阿吽像共に桧材寄木造りによるもので、像の表現方法は鎌倉時代中期の手法がよく示されています。

二躰の金剛力士像は昭和49年に大阪府指定文化財に指定されています。

金剛力士像1    金剛力士像2

木造聖徳太子立像他

高さ40センチメートルの寄木造りの像で、聖徳太子が2歳のときの姿を模したとされます。

胎内には、数枚の納入品があり、それらから興国7年(1346年)の作と考えられます。

聖徳太子立像とその体内に収められていた物を合わせ、昭和51年に大阪府指定文化財に指定されています。

聖徳太子

 

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