所在地:緑ケ丘町、中野
飛鳥時代前半(7世紀前半)に創建された新堂廃寺は、南河内で最古級の寺院と考えられています。
大正時代の初めごろから古い瓦の散布が知られていましたが、昭和34年(1959)から勧められてきた発掘調査によって新堂廃寺の様子が明らかになってきました。
創建当時の新堂廃寺は、南から南門、塔、金堂、講堂が一直線にならび、中門から伸びる回廊が、塔と金堂を囲んで講堂に取りつく「四天王寺式伽藍配置」と考えられます。
その後、建物の追加や南門、築地塀の整備により、奈良時代(8世紀)には寺域が大幅に広がりました。
新堂廃寺の西側には、寺の創建に関わった人物の墓とみられるお亀石古墳があり、石槨の周りには平瓦が積まれる独自の構造をしています。
新堂廃寺やお亀石古墳に使われた瓦は、両者の中間にあるオガンジ池瓦窯で焼かれていました。
このように、寺院、窯跡、古墳がどれぞれ深い関りをもちながら、一体となって残っている例は大変貴重であることから、平成14年(2002年)に国史跡に指定されました。
新堂廃寺跡調査(中央上は塔の心礎)
左:お亀石古墳、右:オガンジ池瓦窯跡