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所在地:甲田
幕末の文久3年(1863)、向田村(現在の甲田)の水郡(にごり)善之祐は、尊皇攘夷派の志士たちと連絡をとりながら倒幕の兵をあげました。
天誅組河内勢とも呼ばれる一派です。
彼らの行動は結局失敗し、善之祐は刑場の露と消えましたが、この事件は明治維新につながる重要な事件でした。
善之祐に呼応した一行が集結した水郡邸は安永2年(1773)に建てられた当時の姿をとどめており、昭和48年に大阪府指定文化財に指定されました。
※一般公開はされていません。