所在地:富田林町
富田林興正寺別院は、富田林町に所在する真宗興正派の寺院で、大阪府内で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている富田林寺内町の中核となる寺院です。
戦国時代の後半にあたる永禄初年頃(1558~1561)、浄土真宗の有力寺院であった京都興正寺第16世 証秀上人は、石川左岸の荒地を購入し、寺内町の開発に着手するとともに、その中核となる寺院を建設しました。
平成26年、本堂・対面所・鐘楼・鼓楼・山門・御成門、附として築地塀3棟を合わせて国の重要文化財として指定されています。
本堂は寛永15年(1638)に再建された大規模な建築です。
浄土真宗寺院の本堂としては大阪府内では最古、近畿でも最古級の建築であり、江戸時代初期の浄土真宗本堂を知る事ができる遺構として建築史上においてもきわめて重要な建築物です。
対面所は江戸時代末期の安政3年(1856)の建築で、本堂の北側に隣接して建っています。
正面は唐破風造の式台玄関とし、奥座敷は一段高い「上段の間」となっていて、小規模ながら対面所としての機能と格式を備えています。
鐘楼は文化7年(1810)の建築で、境内の南東隅に建っています。四面は吹き放しで、中央部に鐘が吊るされています。
鼓楼は鐘楼より古い18世紀後期の建築で、文化7年(1810)に現在の境内北東隅へ移築されました。
鐘楼と鼓楼は、有力な浄土真宗寺院の伽藍を特徴づける建築であり、本寺でも興正寺別院に相応しい重厚な正面構えを構成しています。
左:鐘楼、右:鼓楼
山門は安政4年(1857)に興正寺の本山より移築された薬医門形式の門で、境内正面中央に建っています。
この山門には、元は伏見城の門であったとの伝承があります。
その真偽は確かではありませんが、建築年代は江戸時代初期に遡ると考えられ、規模も大きいことから、元は城門であった可能性が考えられます。
御成門は江戸時代末期に移築された棟門形式の門で、山門の北側に並び立っています。
小規模ながら装飾性の高い門であり、その建築年代は18世紀中期に遡りますが、元々どこに建っていたかは不明です。
安政4年(1857)に京都興正寺から山門を移築するのに合わせて現在の地に移築されたと考えられています。
築地塀は江戸時代末期に建てられたもので、境内正面に配置されています。
山門、御成門、鐘楼、鼓楼とともに境内表構えにとって欠かせない建築です。