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西方寺本堂

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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市役所の東側、富田林町に位置する西方寺は、浄土宗京都知恩院の末寺で天正山神宮院西方寺といい、昔から碁の好きな住職のところへ毎晩、碁の相手に通う与九郎キツネの伝説で親しまれています。
現存する本堂は、正面向拝(ごはい)を支える柱の特徴や腰高障子を使用している点などから建築年代は江戸時代初期を下らないものとみられ、浄土宗の在郷寺院建築としては府下で最古の一つに数えられています。
本堂には当寺の本尊である阿弥陀如来坐像が安置されています。この仏像は天和3年(1683)に尾州名古屋の伊藤治郎左衛門から寄進されたもので、像高143センチ、寄木造の堂々とした姿は、藤原時代の様式で鎌倉末期の作像と指定されます。
寺には大阪城築城の残りの材木を使って本堂が建てられたという言い伝えがあります。江戸時代、西方寺が河内国の浄土宗寺院の中で代表的な寺院であったこと、浄土宗が将軍徳川家に結びついていたことなど考え合わせると、この言い伝えにはかなり信憑性(しんぴょうせい)があるように思われます。
(昭和63年11月号)


注:現在は建て替えられており、本堂は現存していません

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