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浄谷寺の「お背板(セタ)」

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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市民ふれあいまつりの行われる富田林寺内町(富田林町)。その北西に位置する浄谷寺にある。「お背板(セタ)」など西国三十三度行者関係資料が、極めて貴重な民間信仰の歴史を明らかにするものとして、昨年12月大阪府有形民俗文化財の指定を受けました。
西国三十三番札所巡礼は近畿地方33か所の観世音菩薩を安置した霊場を巡拝し、信仰を深めていくもので、古くは平安時代から始まり、江戸時代には最盛期を迎え、由緒ある古寺巡礼として、現在も巡礼者が絶えません。
この札所を行者として巡る人々や風習について、近年研究が進み、様子がわかりだしてきました。
行者は、「お背板(セタ)」と呼ばれる木製の笈を管理していた寺院(浄谷寺もその一つ)に願い出て、背おって西国三十三番札所を33度巡りました。主に本体には、熊野権現本地仏や西国三十三所本尊仏の厨子を納め、別製の箱と作り付けの引き出しに、仏具・位牌を納めてあり、行李には、幡や打敷などの布製品、宿帳や信者から託された過去帳などを入れてあり、宿に着くと組み立てて、供養や祈祷をしていたそうです。
つまり、巡礼にいけない信者などが、家族などの供養を行者に頼み、その願いを移動式簡易祭壇である「お背板(セタ)」に託して巡礼してもらうわけです。
この風習は江戸時代初期から昭和30年代までの約350年間継続していたことがわかっています。
最近では、西国三十三番札所巡礼も、旅行気分で気軽にいく人も多いようですが、当時の行者には想像もつかなかったことでしょう。
<浄谷寺の「お背板(セタ)」は非公開。文化財の府指定:平成7年12月>

(平成8年5月号)

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