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松蔭鑑賞の掛軸

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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富田林寺内町にある仲村家は代々造り酒屋を営んでいた商屋で、現存する住宅は大阪府の文化財に指定されています。
仲村家には、江戸時代を通して多くの文人墨客が訪れていますが、長州藩士吉田松蔭(※)もその一人で、松蔭が書きつづった旅日記に仲村家で鑑賞した掛軸のことが記述されています。
松蔭の「癸丑遊歴日録」によると、富田林に来たのは、嘉永六年(1853)の二、三月の2回。この年の正月に、長州・萩を出発した松蔭は、海路大阪に入り、大和川沿いに竹之内街道を経て、大和五条に住んでいた儒者森田節斎(1811~69)を訪ねています。そして、節斎とともに千早赤阪村を経て、二月十四日、富田林へやってきました。
日録によると「十四日、晴、筋斎に従ひて錦部郡富田林の仲村徳兵衛の家に至る。(中略)十五日、晴、尚ほ滞まる。董其昌、趙礼叟、空海の書及び雪舟の画竜虎を観る。皆希に観るもの、筋斎先生甚だ賞嘆する。」となっています。
富田林に来たのは、松蔭が24才の時ですが、滞在中に世話をした徳兵衛の二男徳治郎や仲村家の近くに住んでいた辻幾之助が十年後に天誅組義挙(1863)に加わったことを思うと、短期間とはいえ、その感化力は相当なものであったのでしょう。


※吉田松蔭(1830~59)は、幕末の思想家で、萩に松下村塾を開き、高杉晋作や伊藤薄文ら多くの維新功績者を育成した長州藩士として知られている。
(平成9年1月号)

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