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新堂廃寺とその周辺

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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今年になって、奈良県明日香村にある明日香池遺跡やキトラ古墳の発掘調査に関係する大ニュースが各紙朝刊の一面をにぎわしています。飛鳥池遺跡は、日本最古の仏教寺院である飛鳥寺の東南に隣接し、天武・持統天皇の皇居だった飛鳥浄御原宮跡と思われる場所にも近く、5000点を越える木簡(薄い板切れに墨書されたメモ)が出土しました。また、キトラ古墳は、「戦後最大級の発見」と騒がれた極彩色壁画が描かれた高松塚古墳の近くにあり、15年ぶりに超小型カメラで壁画の詳細が確認されました。
 私たちの富田林にもこれらと同時期の重要な遺跡があります。
 近鉄長野線富田林駅の北西にある現在の緑ヶ丘町付近で、昭和の初めころに飛鳥時代の古瓦が採集され、「新堂廃寺」の名で紹介されました。そして、1959年から翌年にかけて府営富田林北住宅建設に伴う発掘調査が行われ、飛鳥時代から天平時代にかけての大量の瓦が出土し、伽藍の一部と考えられる4棟の建物跡が確認されました。これらの建物は、飛鳥時代と考えられる創建当時のものではなく、奈良時代に再建されたものでした。
 その後、1995年に府営住宅の建て替えに伴う北側部分の発掘調査が行われ、寺院を維持・経営していたと思われる奈良時代から平安時代にかけての集落が存在していたことが明らかになりました。また、この時出土した垂木先瓦は、日本最古の寺院である飛鳥寺と全く同じ型を使用したもので、特筆すべきものです。
 この新堂廃寺西隣のオガンジ池の北斜面には、新堂廃寺に瓦を供給していたと考えられる瓦窯跡があり、また、池の北方の丘陵には、お寺を見下ろすようにお亀石古墳が営まれています。古墳の石棺の周囲には平瓦が積み上げられていて、被葬者が新堂廃寺にかかわった重要な人物であることがうかがえます。
 このように、新堂廃寺周辺は、「奈良の飛鳥」と「河内の飛鳥」を結ぶ重要な遺跡が存在する地域なのです。
(平成10年7月号)

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