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美具久留御魂神社

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 近鉄喜志駅から南西方向、およそ700メートル、標高約103メートルの羽曳野丘陵の東斜面中腹に「美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)」があります。
 この神社は『延喜式』に河内国石川郡九座として列挙された1つで、別名和爾(わに)神社といい、千早赤阪村の建水分(たけみくまり)神社を上水分神社と称するのに対して、下水分神社とも呼ばれてきました。
 和爾宮の社名は、文徳天皇実録の嘉祥3年(西暦850年)の12月の条に「河内国和爾神の階を進め、従五位上を加う」とあり、この神社の古さがうかがえます。
 祭神は本殿五座、中央に美具久留御魂神(大国主命)、左に天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波廼売命(みずはのめのみこと)、右に国水分神(くにのみくまりのかみ)、須勢理比神(すせりひめのみこと)をまつっています。
 社伝によると崇神天皇10年に五彩の大蛇が現れ、百姓が大いに恐れたため、天皇が「これ大国主神(おおくにぬしのかみ)の荒御魂(あらみたま)の荒(すさ)ぶるところなり宜しくまつるべし」との仰せにより、社殿を創建したといわれています。
 同神社は朝廷との関係が古くからあり、神位や田地がしばしば寄進され、現在では周囲の人々から土地の守り神として崇められています。
 拝殿には多くの絵馬がかけられ、その中に縦98センチ、横189センチある全国的にも珍しい江戸時代に友好親善使節として李氏朝鮮から日本へ派遣された朝鮮通信史の船旅の様子を描いた絵馬があり、当時、朝鮮通信史の評判が広く庶民の間にいきわたったことを示す貴重な資料となっています。
 祭祀の主な行事として、3月1日に祈年祭、4月15日に春季大祭、7月15日に夏期大祭、そして今年は10月の21日、22日に秋祭りが行われ、子どもみこしのお渡りや、大小あわせて12台前後の地車(だんじり)の宮入りが行われ、多くの人で格別のにぎわいをみせます。
(平成12年10月号)

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