ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

西板持遺跡

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
<外部リンク>

 市教育委員会では、(仮称)西板持コミュニティ施設兼老人いこいの家建設に伴い、今年の8月19日から9月6日にかけて西板持遺跡の発掘調査を行いました。
 西板持遺跡は、佐備川の西岸に位置しており、南北1.1キロメートル、東西0.45キロメートルの範囲に広がる遺跡です。今までの調査によって、弥生時代から中世にかけての遺跡であることが分かっていましたが、本格的な発掘調査は今回が初めてのものとなりました。
 発掘調査を行ったところ、北から西に緩やかに回る幅約4メートルの大きな溝が見つかりました。この溝の中からは、古墳時代中期中頃から後半(西暦450年~500年)にかけての須恵器(摂氏1200度前後で焼かれた灰色の固い土器)や土師器(800度前後で焼かれた赤く柔らかい土器)が大量に出土しました。これらの中には、私たちが「韓式系土器」と呼んでいる、朝鮮半島の土器に見られる特徴を持っているものも混ざっていました。また、土器とともに、ウマの歯なども出土しています。
 この溝が何のために作られたのかという問題に関しては、調査の範囲が狭いために断言はできないのですが、もしかしたら人々が住む集落と、田畑などの生産域とを区画する溝であったのかも知れません。
 古墳時代中期は、巨大な前方後円墳が河内南部の古市古墳群、和泉北部の百舌鳥古墳群に築かれる時期です。このことから、古墳時代前期には奈良盆地にあったヤマト政権が、中期には河内に移動すると考えられています。今回発見された遺跡は、まさにこの時期のものといえます。
 市内には、古墳時代中期の古墳は、これまでにも確認されていましたが、平地部の遺跡が確認されたのは今回の調査が初めてのものとなりました。出土した多量の遺物と共に、非常に重要な成果を得ることができました。
(平成14年11月号)

おすすめコンテンツ