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嬉の腰神さん

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 嶽山の南に位置する金胎寺山は標高296メートル、市内で一番高い山です。この山にはかつて楠木 正成や畠山 義就が城(金胎寺城)を構えたと伝えられており、城山とも呼ばれています。嬉の集落はこの金胎寺山と石川の間に細長く広がっています。
 近鉄長野線「汐ノ宮駅」から東へ進み、石川に架かる千代田橋を渡り、突き当たりを南に進んでいくと、山側にひっそりとたたずむ鳥居が見えます。「腰神さん」とも呼ばれ親しまれている腰神神社です。
 腰神神社は金胎寺山の山麓の巨岩をご神体とする神社で、由緒書によると、7世紀の半ばごろ、紀伊国の豪族箕島宿禰が嬉に移り住み、河内国に文武を広めた功績をたたえられて腰神神社に祭られたのがはじまりと伝えられています。その後、南北朝時代に、楠木 正成が鎌倉討伐に向かう道中、腰を痛めて歩けなくなった正成の馬を、腰神神社の藤の木につないで休みをとらせたところすっかり良くなり、腰神神社で勝利を祈願し出陣したという言い伝えがあり、いつのころからか腰の神さまとして知られるようになりました。
 戦前、千代田橋の付近に汐ノ宮温泉が栄えていたころには、腰神神社にお参りし、温泉につかって腰の病を治そうと近辺はもとより遠方からも大勢の人が訪れました。
 腰神神社の鳥居をくぐり10段ほどの石段を上ると、両側に狛犬、正面に絵馬堂があります。鳥居と狛犬は明治時代、伏見堂、横山、嬉共有の神社であった汐ノ宮神社が彼方の春日神社に合祀された際、腰神神社に移されたものです。
 絵馬堂には、腰神神社にお参りして腰痛が治った人や腰痛の平癒を願う人が奉納した、数多くの絵馬や額が掛けられています。絵馬堂の奥に広がる境内には、八大龍王、猿田彦国光大明神が祭られている他、かつて神社の近くの滝で祭られていたかわいらしい不動明王も移されています。また、樹齢700年と伝えられる巨大な藤の老木が、初夏になると見事な花を咲かせるそうです。
 現在、腰神神社をはじめ、その周辺の金胎寺山に続く道は地元の人たちによってきれいに整備されており、地元の人はもちろん、ハイキングを楽しむ人たちの憩いの場となっているそうです。
(平成25年10月号)

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