江戸時代、錦郡村は狭山藩北条氏と旗本甲斐庄氏の領地でした。
この絵図は、明治2年(1869年)5月に作成されたもので、かつて狭山藩の大庄屋を務めていた市内の旧家から寄贈されたものです。
縦40・5センチ、横55・5センチの和紙に錦郡村が描かれています。 絵図の下に太めの線で横に石川が描かれ、何本もの細く曲がりくねった線で道や水路が描かれ、絵図の左下には道の両側に錦織一里塚が描かれています。
左上にかけて塗りつぶされているのは現在の府営錦織公園のあたりで、濃く塗りつぶされた池が点在しています。
また集落の他、福龍寺、安楽寺、常楽寺、若宮など当時の錦郡村にあった寺社も描かれています。
現在の地図と見比べると、昔と今の錦郡の変化が見えてきます。
実物は川や水路、池は青色、道は赤色、山は緑色、家は黄色というふうに鮮やかな色彩で分かりやすく描き分けられています。
この絵図は、今年4月に観光交流施設きらめきファクトリーで開催した企画展「とんだばやしを通る街道と…」にパネル展示していました。
今回、残念ながら展示を見逃した人にもご覧いただけるよう今後も展示を企画していきますので、次回の展示の際にはぜひご覧ください。
(平成28年10月号)