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オガンジ池瓦窯=続報=

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 前回ご紹介したオガンジ池瓦窯から、その後さらに重要な遺物が発見されました。
 この調査では、窯の年代が飛鳥時代にまでさかのぼるかどうかに関心が持たれていました。
 しかし、決め手が見つからないまま発掘はほぼ終了し、窯跡の埋め戻しを翌日に控えた日のことでした。念のために灰原を掘り起こしたところ、出てきた軒丸瓦の破片に飛鳥時代の特徴である素弁蓮華文(そべんれんげもん)がはっきりと残っていたのです。
 そこで、さらに発掘を続けた結果、素弁蓮華文種先(たねさき)瓦や、しゃちほこの原型といわれる鴟尾(しび)など飛鳥時代と思われるもの、また白鳳時代の川原寺式複弁蓮華文軒丸瓦、重弧文(じゅうこもん)軒平瓦など新堂廃寺跡から出土したものと同じものが見つかりました。
 これで、オガンジ池瓦窯は隣接地にあった新堂廃寺(現緑ケ丘町)の創建用および増・改築用の瓦を焼いていた窯であったことが確実になりました。
 瓦が日本に伝わったのは西暦588年といわれ、以後、飛鳥寺など瓦葺きの寺院が建てられ始めます。しかし、その飛鳥時代の瓦を焼いた窯が発見されたのは全国でも10例ほどです。しかも、窯とその瓦を使った寺院とがこのように近接している例は極めてまれです。
 かつて富田林の地に当時の文化の中心となった寺院があり、その造営のために瓦を焼く窯が煙を上げていた-そんな光景が想像できます。
(昭和61年3月号)

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