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山中田1号墳出土短甲

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 8年12月に発見された山中田1号墳は石釧と呼ばれている腕輪と勾玉、管玉、棗玉など620数点の玉類とともに、鉄製の鎧が出土し、調査当時、新聞、テレビなどで大きく報道されました。
発見された鎧は三角形の鉄板を革紐で綴じ合わせた三角板革綴短甲と呼ばれるもので、長い年月に土中で鉄板はさび、革紐は朽ち、さらに土圧で変形していました。現地で観察すると短甲は後胴と呼ばれている背中の部分を上にして、その上に革製の草摺と呼ばれている腰から膝までを保護するための短甲の附属具を帯のようにたたんでのせられていることが分かりました。草摺の革はすでに腐っていましたが、革に施された縫い取りの上に塗られた漆が保護膜の役割を果たしていたため、鋸歯状のステッチがかろうじて残っていました。しかし、いたみが激しく、それらを取り上げるとバラバラに砕けてしまうおそれがあるため、土に埋めたまま地面ごと持ち帰り、引き続き詳細な観察を行うことにしました。
 持ち帰った短甲はこれ以上朽ち果てないように、まず科学処理が施されました。その後、発掘調査時に調べることのできなかった地面に埋もれた部分(前胴)を観察するために地面を逆転させました。そして短甲を覆っている土を慎重を取り除いていきました。その結果、短甲の下からさらに幅18ミリ程度の小型の櫛が14点と何か用途が判別できないものの朱を塗った小さな木製品が出てきました。このあとX線写真を撮って短甲内部に副葬品がまだ入っているか調べたり、制作方法解明のために型を取りながら一枚ずつ鉄板をはずし、その綴じ方を観察するなどの調査がまだ続きます。
 調査は保存処理を行いながら続けるために時間がかかります。しかし、このような発掘後の調査研究を行うことによって山中田1号墳の様子がより鮮明になっていきます。これらの成果は来年春にオープンする(仮称)川東地区コミュニティ施設でご覧いただけることになっています。
(平成12年2月号)

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