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お亀石古墳の調査

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 お亀石古墳は、府営緑ケ丘住宅の北西、標高約97メートルの羽曳野丘陵上に位置しています。
 ここからは、金剛・葛城・二上の山々を望むことができます。
 府営緑ケ丘住宅の広場からは、発掘調査によって、飛鳥時代のお寺の跡(新堂廃寺)が見つかりました。ちょうど、聖徳太子が建立した四天王寺も、この時期にあたります。
 古墳の築造当時は、北側、西側、東側を尾根に囲まれ、南側には谷があって、水が流れていたと思われます。この地形は、風水思想に基づくもので、もっとも貴い場所とされています。
 また、お亀石古墳の特色として、横穴式石室のように石棺を納める玄室(棺を納める広い空間のある部屋)がなく、石棺を石室として用いられています。
 石棺には、埋葬するための入り口が設けられています。このような形態は横口式石槨とよばれ、南河内でよく見られます。
 発掘調査以前は、地形や古墳の構造などから、径約15メートルの飛鳥時代の円墳と考えられていました。
 今回の発掘調査では、今まで不確定であったお亀石古墳の形と規模を確かめることができました。
 その結果、大部分が中世に改変を受けて古墳の形が変わっていましたが、墳丘東側と北東側では古墳築造時の墳丘盛土がすそ部まで残っていました。そのすそ部が石槨の中心から10.5メートルの位置にあることから、古墳の東西幅が21メートルであったと推定できました。また、古墳のすそが直線的に伸びることから、方墳と推定されます。
 築造された時期は、出土した土器から7世紀前半ごろと思われます。
 なお、石槨の周囲には平瓦がコの字状に積まれていて、この瓦が新堂廃寺にしようされたものと同じ種類であることから、新堂廃寺を建立した有力な人物の古墳と想像されます。
(平成14年5月号)

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