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桜井遺跡の調査

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 市教育委員会では、14年10月18日から11月8日にかけて桜井遺跡の発掘調査を行いました。
 桜井遺跡は、石川の西岸、現在の桜井町を中心とする遺跡で、その範囲は南北400メートル、東西600メートルに及びます。今までの調査では、飛鳥時代から中世にかけての集落遺構が確認されています。今回の調査地は、その遺跡範囲の南限に位置しています。地理的には、石川が形成している段丘の東端にあたる部分で、調査地のすぐ東側から約10メートルの段差をもって石川に向かって下っています。
 調査は、約200メートルの範囲で行いました。その結果、この範囲では二つの時期の遺構が存在することを確認しました。
 一つは、14世紀前半、鎌倉時代から室町時代にかけての遺構です。柱穴や土壙(大きな穴)が確認されていますが、興味深いものとしては、調査区のほぼ中央に南北方向の大きな溝が確認されていることです。この溝は、幅が約1.5メートル、深さは最も深い部分で約0.4メートルあります。溝の北側は東にL字形に短く曲がっており、また調査区の中程で溝がとぎれる部分が確認されています。溝の中からは、瓦や土釜、擂鉢などが多量に出土しています。また、この溝の東側に沿う形で、幅約0.4メートル、深さ約0.4メートルの細い溝が検出されました。この溝の中からも、土釜、擂鉢などが多量に出土しています。これらの溝の性格としては、大きな溝が屋敷地を区画する溝で、細い溝が板塀などを構築するための溝ではないかと考えています。
 もう一つは、17世紀後半、江戸時代前半の遺構で、柱穴、土壙、井戸が確認されました。出土遺物としては、瓦、陶器、肥前磁器などがあります。瓦が相当数出土していることに対して、柱穴には礎石が存在していないことなどは、今後の検討課題です。
 今回の調査で、中世から近世にかけての石川段丘上での集落の一端が確認されました。桜井遺跡は、現在まで発掘調査例が少ないため、今後の調査によりさらに遺跡の全体像が解明されることが期待されます。
(平成15年1月号)

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