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錦織神社の発掘調査結果

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 16年1月から3月にかけて、市教育委員会では錦織神社本殿と両摂社の保存修理事業に伴い、神域内の発掘調査を行いました。発掘調査は、主に盛土の状況を探るため、神域内に6か所、神域外に2か所調査区を設定しました。
 その結果、本殿の東側は、幾度となく盛土の積み直しが行われていることが判明しました。これは、現在の地形からも見て取れるように、錦織神社付近の地形が西側から東側にかけて傾斜しているためで、東側の土が非常に崩れやすかったからであろうと推測できます。その反面、西側の調査区では、現在の地表面下約40センチのところから、比較的大きさを統一された小石が盛土の上一帯に敷かれていたことが確認できました。神社創建時の正平18年(1363年)、本殿と両摂社の周りは、直径約5~10センチほどの白っぽい小石で化粧されていたことが想像できます。
 また、本殿西側に位置する天神社(西側摂社)の下を調査したところ創建当時の礎石が確認されました。その礎石の位置を詳しく調査してみると創建当時の天神社は、約1メートル東側に建っていたことが確認できました。出土した遺跡から、摂社が移動した時期は江戸時代の後半以降であると考えられ、また、その時期に神域盛土が西側に拡張されていることも確認できました。
 今回の発掘調査は、非常に限られた範囲で行われましたが、天神社の移動、創建当時の本殿と摂社周辺には小石が敷かれていたこと、またその高さが現地表面より約40センチ下であったことなどが判明し、錦織神社の歴史を考える上で大きな成果があったと言えます。
 現在も本殿・両摂社の保存修理事業が続いていますが、屋根の葺き替えや、彩色工事も順調に進んでおり、いずれ赤くきれいに彩られた本殿が皆さんの前に姿を見せてくれることでしょう。その時はぜひ、神社を受け継いできた人たちの苦労と、赤い本殿と創建当時敷かれていた白っぽい小石の鮮やかな光景を頭に思い浮かべながら、足を運んでみられてはいかがでしょうか。
(平成16年9月号)

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