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新堂廃寺講堂跡の発見~18年度調査の結果~

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 18年9月から、講堂の規模を確認するための調査を行いました。新堂廃寺における講堂の調査は、昭和35年(1960年)以来となります。
 今回の調査では、基壇の一部を検出しました。この基壇は、約3メートル残存し、そのうち約1.5メートルには瓦積みが残っていました。この位置は、想定されていた場所よりもやや東に外れていて、伽藍の中軸になる南北ラインから東に約14メートルに位置することから、これを反転させ講堂の東西規模を約28メートルであったと考えました。
 さらに、この基壇は南側で直角に曲がり東に続き、この部分は講堂に回廊が取り付く部分にあたると考えられます。このことによって、新堂廃寺が大阪市にある四天王寺と同じ伽藍配置をもつ寺院として造られたことが証明されました。
 また、これら基壇部分から出土した瓦は、天平期(8世紀前半)のものが大半であり、この時期に構築されたか、大規模な修復がなされたことが分かります。
 これまでの調査で、新堂廃寺の主要な建物はすべて瓦積み基壇であったことが分かりました。このような瓦積みの基壇をもつ古代寺院は、朝鮮半島の百済に多く見られます。また、日本でも近江(現在の滋賀県)や山背(京都府南部)、南河内など渡来系の人たちが深くかかわったとされる地域を中心に分布しています。これまで出土した瓦の文様や伽藍配置とともに、基壇構造からも新堂廃寺と百済との深いかかわりが想像できます。
 今回の調査では、講堂基壇の周りに瓦片を敷いていた痕跡も見つかりました。以前、塔の北側で見つかった瓦敷きは、その位置や形状から参道の一部と考えましたが、今回はその場所から参道とは考えられず、何を意図したものなのかは不明です。
 発掘調査では、新たな発見とともに新たな謎が生まれます。文献に残らなかった古代寺院「新堂廃寺」の全容解明にはまだまだ時間がかかりそうです。
(平成19年8月号)

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