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発見された方形周溝墓

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 弥生時代になると、稲作が定着します。新しい生産活動が営まれることによって、人々の間には身分の分化がはじまります。そして有力な家族を葬るお墓として新しく方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が登場します。
 方形周溝墓は、方形または長方形の墳丘を造り、まわりに溝をめぐらせています。古墳時代に造られた古墳とは違って、墳丘内に子供を含む複数の人が埋葬されています。このことから、家族墓(血縁で結ばれた家族によって代々営まれたお墓)と考えられています。また、周溝からは供献土器(きょうけんどき)といわれる穴の開けられた土器や打ち欠きのある土器が出土します。
 6月から7月にかけて調査した喜志西遺跡(近鉄長野線喜志駅付近)の調査でも、方形周溝墓2基とその片方の墳丘の裾部から甕棺墓(かめかんぼ=土器をひつぎとして用いた乳幼児のお墓)1基が見つかりました。残念ながら墳丘上部では、後世に削平を受けていて埋葬施設を見つけることはできませんでしたが、周溝からは弥生時代中期の甕(かめ)・壺・水差し・鉢などの供献土器が出土しました。このことから、弥生時代の喜志駅付近は集落のあった喜志遺跡(喜志小学校の北側一帯)の墓域であったと推測されます。
 大阪府下で方形周溝墓が発掘された遺跡は、10数箇所ありますが、南河内地域(石川流域)では今回の喜志西遺跡で発見された2基の方形周溝墓が初めてです。この新しい発見によって、南河内地域における弥生時代の墓制のあり方を知る手がかりになると考えられます。
(平成元年10月号)

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