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土器が語るもの-喜志西遺跡の調査から-

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 昨年の11月から今年の1月にかけて、市内北部にある喜志西遺跡の南東の端にあたる喜志駅東側に通じるバイパス道路の北側で、発掘調査を実施しました。
 発掘調査では、自然の水の流れによってできた水路や人間の手が加わった掘り込みなどがみつかりました。 このような、大地に刻まれた人類の生活の跡を遺構と呼びます。また、遺構の中には、石器や土器などの人間が手を加えてつくったものを指す遺物が含まれています。
今回の調査では、これらの遺物のうち、土器から遺構の年代を推測することができます。  土器がつくられるようになったのは、今からおよそ4500年前のことです。当時の人々は火と粘土と知恵を使い、試行錯誤しながらはじめて化学変化を応用してつくりあげたのでしょう。 その後、現在までいろいろな焼き方や形をもったものが現れ、それぞれの時代の特徴が土器から読み取れます。
 出土した土器には、縄文土器・弥生土器・布留式土器(奈良県天理市布留町で初めて出土したことから名がついた)・須恵器・土師器・瓦器があって、調査地周辺の環境がわかりました。 つまり、今から約2500年前の縄文時代後期のころに人が住みはじめ、約2000年前の弥生時代中期のころに墓地がつくられ、6世紀のはじめごろの古墳時代にふたたび住居をかまえるようになり、その後、しだいに水田化されていったことがこれらの土器から推測することができました。
(平成3年5月号)

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