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寺内町出土の堺摺鉢

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 近年、富田林寺内町では、旧杉山家住宅修復工事や富田林保育園の建て替え工事、寺内町センター建設、個人住宅建設に伴う発掘調査などが行われています。これらの調査で、寺内町の町割や建物の建て替えの様子、寺内町の成立期から在郷町として栄えた江戸時代の庶民の生活の様子が明らかになりつつあります。
 出土遺物の中には、摺鉢があります。摺鉢は、わたしたちが使っているように食べ物をすりつぶすために使われたものですが、旧杉山家住宅の調査では、お茶室の排水施設などに使われていました。また別の調査では、柱をすえる穴の底に摺鉢をすえて使われているところもありました。
 これらの摺鉢は、備前焼や丹波焼のほか、一見、備前焼と見違える無釉焼締陶器がほとんどです。この備前焼に似た摺鉢は、備前焼摺鉢の生産が衰退した後、江戸時代の中ごろ(17世紀後半)から明治時代にかけて堺の環濠都市付近で生産されたといわれている堺摺鉢と思われます。備前焼との違いは、焼く時にリング状の焼台という窯道具を使うこと、内面の底の部分の摺目の施し方や外面の底の部分に離れ砂(=焼き物どうしがひっつかないように使われる砂)がついていること、また、一部では片口のところに刻印が施されていることなどです。
 堺摺鉢の出土によって、文献以外からも、中世半ばから栄えた環濠都市堺と富田林寺内町との交流がうかがえます。
(平成3年9月号)

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