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海を渡ってきた土器

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 市域の東方、河南町との境に広がる別井遺跡と近鉄富田林駅北方に広がる中野遺跡から韓式系土器と言う渡来人(朝鮮半島から渡って来た人々)と深い関係のある土器が見つかりました。
韓式土器とは、三国時代(3~7世紀代)の朝鮮半島南部地域に栄えた百済・伽耶・新羅などから渡来人によって持ち込まれたり、すでに日本に住んでいた人々が朝鮮半島の土器をまねて作った土器のことを言います。  この土器には、形や焼き方の違いから軟質土器(赤色の土器)と陶質土器(青灰色の土器)の二種類があります。軟質土器は、日本の土器製作には使われなかったロクロやたたき技法などの新しい技術が使われており、煮炊き用として使われたものが多く、甑(現在の蒸器)や鍋などがあります。陶質土器は、須恵器の源流となる硬質の土器で、食べ物を盛るための坏や高坏、また貯蔵用として使われた甕があります。
 この韓式系土器が出土したことによって、別井遺跡が遺跡北東の丘陵上の渡来系氏族とつながりが深い一須賀古墳群とかかわりがあると考えられます。また、中野遺跡も遺跡の西方に、いち早く朝鮮半島の新しい文化を取り入れて飛鳥時代に建てられた新堂廃寺があり、渡来系氏族と深いかかわりがあると思われます。このように市内の遺跡が、古代朝鮮半島とのかかわりのあることが、古事記や日本書紀など文献以外の出土遺物からもうかがい知ることができます。
(平成4年3月号)

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