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縄文時代の河川

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 市の南部、近鉄長野線滝谷不動駅の南方に広がる錦織南遺跡で昨年の10月から今年の3月にかけて本格的な発掘調査がおこなわれました。  調査地点は、府営錦織公園の南を流れる細谷川と石川が合流する旧170号線の東側にあたり、細谷川の北に接した水田で、周辺から一段低い地形になっています。
 発掘調査では、西から東に流れる河川の跡が見つかっています。いちばん深いところからは、今からおよそ二千五百年前の縄文時代の終わりごろの土器が出土しています。そのころには、この河川があったと思われ、堆積状況から、当時は相当の水量があって、洪水のような流れがあったと思われます。それは、人の頭よりも大きな石がごろごろ堆積していることや大木が流されてきていることからわかります。
 さらに、その後も土砂を堆積させながら、しだいに流れを南に変え、川幅も狭まったようです。そして、最後には、この地に住んだ人々によって河川改修が行われ、周辺が水田にされていったことがわかりました。それは、今からおよそ五百年前の室町時代のころです。
 このように、ひとつの発掘調査地点から周辺の環境がわかることは珍しいことです。今回の発掘調査から細谷川や石川の歴史がわかったとともに、周辺にはおよそ二千五百年前から人々がくらしていたことがわかりました。つまり、錦織南遺跡における自然と人間とのかかわりを読み取ることができたわけです。
(平成4年5月号)

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