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喜志西遺跡の発掘調査から

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 今年の5月から7月にかけて近鉄長野線喜志駅周辺に広がる喜志西遺跡の発掘調査を行いました。
 この遺跡は、1982年の喜志駅西側の整備事業に伴う試掘調査によって発見されました。これまでの調査では、弥生時代中期の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ=方形に溝を巡らせたお墓)や甕棺墓(かめかんぼ=土器をひつぎとして用いた乳幼児のお墓)、古墳時代の溝のほか中世の溝も見つかっています。また、江戸時代に綿作を行っていた掻揚田(かきあげだ)の跡も見つかっています。
 今回の調査では、弥生時代から古墳時代の遺物を含む遺構が見つかりました。調査区の中央を南から北に流れる本流に東西から数条の支流が流れ込んでいます。幅はもっとも広いところで約9メートル、深さは深いところで約1メートルあります。
 この溝の底には砂の堆積があって、最初のころはかなりの水量で流れていたことがわかります。その後、流れが悪くなってヘドロ状の堆積に変わり、最後には埋まってしまったことが、堆積状況から読み取ることができます。溝の底にある砂の層から弥生時代中期の土器が、水の流れが悪くなったヘドロ状の堆積の中から古墳時代の須恵器の蓋杯(ふたつき=蓋のついた器)が出土しました。これらのことから、この溝が弥生時代から古墳時代(約2000年前~約1300年前)にかけて機能していたことがわかります。また、この溝よりも古い時期の遺構も見つかっています。
その後、調査区一帯が水田に整備されたことがわかりました。
(平成4年11月号)

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