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雨乞いの祭り

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 昨年の夏は猛暑となり、各地で給水制限が実施されたと連日のように新聞紙上をにぎわしました。
 私たちの生活は、太古の昔から自然の恵みによって成り立っているといっていいでしょう。農耕社会である日本は、雨水の恩恵はとくに大きいといえます。そのため、干ばつが続くと雨乞いの儀式が行われます。昨年もこうした儀式が復活したり、盛んに行われたようです。
 『日本書紀』には「村々の祝部の教えるところのままに、あるいは牛馬を殺して、もろもろの八代の神を祭り、あるいはしきりに市を移し、あるいは河伯に祈る、すでに効くところなし」との記述があって、雨乞いに際し貴重なウシやウマを殺して神に捧げる民間の習俗を伝えています。また8世紀の日本の歴史を書いた『続日本紀』には、各地の農民がウシを殺して供える習俗を国家が禁止したことを伝えています。
 民族学者の柳田国男氏の『遠野物語』や石田英一郎氏の『河童駒引考』には、東北地方をはじめ各地に残る動物の骨に関するおもしろい習俗を記録しています。たとえば、ウマの頭蓋骨。平常はさらにしておいて、干ばつになると滝壷やため池に浸し、降雨を祈るとか、16世紀はじめの公家の日記である『政基公旅引付』の文亀元(1501)年のところには、和泉地方の雨乞いの習俗の記述があり、「滝宮社頭において請雨の儀あり・・・その後なお降らずんば、件の滝壷において不浄の物をいれる<鹿の骨あるいは頭の風情の物と云々>、必ず降らざることなし」とあります。水の神の宿る滝壷にシカの骨や頭など「不浄の物」を投げ入れて神を怒らせ、けがれを清めるために雨を降らせる雨乞いの方法です。
 富田林市のちょうど中心、「すばるホール」の北西の丘陵上に宮林古墳がありました。この古墳は、昭和58年に発見され、発掘調査が行われました。そのとき、墳頂部分から木炭とともに獣骨が入った幅1メートル、長さ1.8メートル、深さ0.3メートルの穴が見つかりました。当初、古墳の概念から人骨かと思われましたが、鑑定の結果、ウシの骨であることが判明しました。
 古墳周辺の字名が「宮林」であり、西方に見下ろす位置に錦織神社が鎮座していることから、当地が境域であったかも知れません。いずれにしても、富田林でも確実に雨乞いが行われていたことがわかります。
(平成7年5月号)

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