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「魏志倭人伝」を掘る

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 先月号では「魏志倭人伝」に記載された卑弥呼の鏡についてふれてみましたが、その後、新聞のトップを飾る一大発見がありました。
 これは、和泉市と泉大津市にまたがって営まれた池上・曽根遺跡から発見された大型掘立柱建物と丸太の刳抜井戸で、日本では最古、最大のものです。
 この遺跡は、昭和44年から始まった第2阪和国道(国道26号線)に伴う本格的な発掘調査によって、二重の環濠がめぐる弥生時代における全国屈指の環濠集落であることがわかりました。
 発見された大型掘立柱建物は、今から約2千年前に立てられた高床式建物と考えられ、柱は径55センチの桧材が使われていて、桁行9間(約17メートル)、梁行2間(約7メートル)の大きさで、面積約120平方メートルあります。また真南北の方位に建てられ、基準になる寸法も中国の後漢尺(23.04センチ)が使われていたとも考えられることから、中国との密接な交流をうかがわせるものです。
 独立した棟持柱をもつ大型掘立柱建物は近畿地方に見られ、北九州地方では平面形が正方形に近く、棟持柱をもたないものが多いことから、高床式ではなく土間床の平屋建物と考えられています。
 さらに、建物の近くで見つかった直径が約2メートル、厚さ約15センチもある巨大な楠の一木を刳り抜いて造られた井戸と建物との関係から祭祀の場であったことを如実に物語るものです。
 池上・曽根遺跡は「魏志倭人伝」に百余国と記された内の一国として、十分な資格を兼ね備えていたことがわかるだけでなく、邪馬台国の所在論争に一石投じたことは、疑う余地もありません。
(平成7年8月号)

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