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まぼろしの寺2 新堂廃寺

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 近鉄長野線富田林駅の北西に向かって約500メートルの緑ケ丘町に府営富田林北住宅があります。
 昭和35年に建設されたこの住宅を建替えるにあたって、昨年の8月から発掘調査が進められてきました。その成果が先月の17日に公開されました。
 住宅が建てられる以前は、一帯は水田地帯で、小字を「堂ノ前」といい、昭和のはじめに古瓦が採集され、わが国でも数少ない飛鳥時代の寺院址として新堂廃寺の名で紹介されました。そして、住宅建設に先立って、小規模ながら発掘調査が行われ、建物遺構が創建当時の飛鳥時代にさかのぼるものではなく、奈良時代に新しく造成されて、再建された寺院址であることが判明しました。このことから、新堂廃寺が「まぼろしの寺」と言われてきました。
 今回の発掘調査は、35年ぶりに行われた本格的なもので、お寺の様相が判明する期待がもたれていました。そして、公表された調査成果は、期待どおりのものでした。
 調査地は、推定寺域の北側で、奈良から平安時代に建てられた建物群が19棟見つかりました。これらの建物群は、お寺を造営した氏族の住居と考えられます。
 また、官人が使用していたと思われる石製と金銅製の帯金具が出土し、銅に金が鍍金された例は、我が国で初めてのものです。この帯金具の種類の違いから、身につけていた官人の位がわかります。金銅製のものは5位以上、石製のものは6位以下で、石製のものは新堂廃寺を建てた氏族が使用していたかも知れません。
 出土した大量の瓦の他に人物画がヘラで描かれた鴟尾、円面硯や白・緑・黄色の釉がかかった三彩陶器などから、当時の官人の高度な暮らしがうかがえます。
 調査中に最も期待されたのは、寺名を記した遺物の期待でした。土器に「寺」、「千」と墨書した文字が発見されましたが、残念なことにお寺の名前を推測する資料は見つかりませんでした。
 今、本格的な発掘調査が進められたばかりです。今後の発掘調査で「まぼろしの寺」がその全容を現すことでしょう。将来、この遺跡は保存整備され、郷土が誇る文化遺産になるに違いありません。
(平成8年3月号)

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