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宝器に守られた被葬者

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 今回発掘された山中田1号墳は、市内東部の丘陵から北西に伸びる尾根の先端にあり、ここからは山中田集落を見渡すことができます。
墳形は、自然地形の隆起を利用してつくられた直径約20メートルの円墳か前方後円墳と思われます。中世以降の開墾等によって元の姿をとどめていませんが、尾根を区切った周溝も見つかり、周溝内から埴輪片が出土しました。
 主体部(被葬者を埋葬した場所)は、墳丘のほぼ中央部で、棺底がU字形のため割竹形木棺(竹を縦に二つ割りしたような木棺)を直接地面に埋めていたと思われます。木棺は朽ち果てて残っていませんでしたが、長さ4.5メートル、幅0.65メートルと推定されます。木棺の北側には長さ0.6メートル、幅0.6メートルの副葬品が納められた空間もありました。
 空間の南端からは、三角形の鉄板を革紐で組み合わせた短甲が1領、うつむけて置かれていました。また、この上には腰を保護するスカート状の武具である草摺も置かれていました。さらに、短甲の北側約0.3メートル四方に、625点もの玉類、石製品が副葬されていて、全国的にみても極めて多いものでした。玉類には勾玉(わん曲した玉)116点、管玉(円筒形の玉)117点、棗玉(棗の実に似た玉)201点、小玉(球形の小さな玉)190点があり、石製品は石釧(腕輪)1点で、これらが意識的に置かれていました。また、材質のほとんどが滑石製や緑色凝灰岩製でしたが、勾玉にはヒスイ製が20点もあり、他に類例をみないものでした。
 これらから、古墳の築造時期は4世紀末から5世紀初頭と推測されます。多量の玉類は、出土状況から被葬者個人の副葬品ではなく、家族らによってささげられた宝器と思われ、当時、この地を支配していた豪族のあり方を考える上で貴重な発見といえます。
(平成9年3月号)

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