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印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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 明治6年に太陽暦が採用されてから、年中行事は旧暦と新暦との間を行き来しました。盆も同様です。明治11年は旧暦からひと月遅れの8月15日に「盆の形チ休業。今晩踊り有り」。ところが明治12年は9月1日が「旧七月十五日故盆ノ形チ休業明日ヨリ薮入スト云フ」。
 このようにひと月遅れだったり旧盆だったりを繰り返しながら、徐々に人々の暮らしは変化し、大正時代には8月15日の盆がごく普通のこととなっていきました。
 盆まつりの方法は、宗派や地域によって随分異なります。富田林市域で、最も細やかな手順をふむのが大念仏宗。今回は、大念仏の人々の盆を簡単に紹介します。
 8月7日は「ナヌカボン」といって、仏壇にお燈明をあげます。新仏のある家ではこの日から「お茶湯」が始まります。11日は墓参り。家の仏さんを迎えに行く日でもあります。12日は朝早くから大阪市平野の総本山の僧侶がおまいりに来ます。
 13日から15日が各家での「お茶湯」。先祖の経木の数(5~7)分の湯呑みを仏壇に用意し、熱いお茶をそれぞれ供えます。他にそうめんやおはぎ、あるいは生前に仏さんの好物だったものを供えたりします。14日の晩、各家では家族揃って御詠歌の唱和が行われます。お茶湯のお茶を代えること(1日75回)や御詠歌は小学生になると同じように参加します。
 明けて15日の夕刻。五色(=五種。七種の家もある)のおかずとご飯を仏に食べていただくと「タマオクリ」です。線香を立て経を唱えながら供物いっさいを川に流しました。
 そして15日か16日の晩には盆踊りが行われました。元来は盆に帰って来る祖先の魂への供養です。鉦や太鼓を打ち鳴らしながら経を唱え、死者の魂の極楽往生を願ったのか、そもそもの盆踊りの始まりだったようです。
(平成3年8月号)

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