寺内町にある旧東奥谷家住宅は、三方を城之門筋、一里山(いちりやま)町、富山(とみやま)町に面し、街区の西半分を占める大きな屋敷で、城之門筋の景観上重要な点景となっています。調査では、主屋(おもや)は文政12年(1829年)に建てられたことが明らかになっています。
旧奥谷家住宅
当家は主屋のほか土蔵(どぞう)、長屋棟など計6棟の伝統的建造物が屋敷地を取り囲んでいます。こういった事例は、富田林寺内町内でも限られていて、現在でも良好な状態で残されていることは、近世後期の建築群として文化財的価値がすこぶる高いと言えます。
主屋内部で最も特徴的なのは、通り土間の裏手にある「吊(つ)り部屋」です。どのように使われていたかは定かではありませんが、使用人が寝泊まりしていたのではないかと考えられています。近隣では、羽曳野市の重要文化財吉村家住宅で、土間と部屋との境に同じような吊り部屋が設けられています。
吊り部屋
また、ダイドコ(家族が食事などで用いる部屋)にあがると空中を飛ぶような箱階段にも目を惹(ひ)かれます。これは踊り場を2か所設けて3方向に曲がりながら2階に上る階段で、中段からは吊り階段になる独創的なスタイルです。江戸時代、幕府の禁令で本二階建て以上の町家は建てられなかったため、押入などに隠されるものですが、ここでは西洋の階段のように見せ場としてつくられていて、後の改造でつくられたのかもしれません。
この住宅は、所有者から令和3年に寄贈を受け、今後どのように保存し活用していくか検討を進めています。お披露目できるまでいま少し時間がかかりますが、個性溢れる旧東奥谷家住宅が、新たな時代におけるまちづくりの旗振り役として期待できるのではないかと考えています。
箱階段
(令和5年5月号)