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小学校給食の歴史

印刷用ページを表示する掲載日:2018年3月5日更新
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昭和47年(1972)

(財)河南三市学校給食協会を設立し、松原市・羽曳野市と共同で学校給食を開始しました。献立は三市共通でパンと副食の2品でした。
(当時の献立)の画像

当時の献立

コッペパン・フランクフルト・キャベツとハムのサラダ・牛乳

昭和55年(1980)

児童増に対応するため第二給食センターを建設し、外環状線(国道170号線)を境に各々8校づつ給食を調理することになりました。

昭和60年(1985)

「学校給食センター運営委員会」で研究され、献立を3品とし、食器は(大・小椀)(大・小皿)(仕切皿)の5種類を用意してこの内3種類を常時使用すること、また、先割れスプーンを廃止して、「箸」を家庭持参とするとの答申が出されました。
皿の画像

平成3年(1991)

米飯を全校一斉にセンター炊飯し、週2回実施しました。
センター炊飯の画像

平成8年(1996)

羽曳野市が(財)河南三市学校給食協会を離脱し、松原市と富田林市の二市で「協会」を運営することになりました。

平成9年(1997)

松原市と富田林市の二市で統一していた献立をやめ、それぞれ独自の献立や給食物資の購入をすることしました。

平成11年(1999)

10種類のパン全てを当日の「朝焼き」にし、衛生面や品質保持のため『個別包装』としました。

平成14年(2002)

6年生の卒業お祝い献立として「お弁当給食」を始めました。

献立

さけのふりかけごはん・炊き合わせ・かに爪フライ・ハンバーグ・いよかん・こんにゃくゼリー・牛乳

平成15年(2003)

新1年生の初めての給食に「おにぎり」をセンターで調理しました。
献立の画像

献立

さけおにぎり・ハンバーグ・カレーポテト・すまし汁・フルーツゼリー・牛乳

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