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令和元年度所信表明

印刷用ページを表示する掲載日:2019年6月18日更新
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はじめに

 このたび4月21日執行の市長選挙におきまして、市民の皆様からのご信任を賜り、富田林市長として市政運営を担わせていただくこととなりました。改めまして皆様にお礼申し上げますとともに、その重責に身の引き締まる思いでございます。
 本日は、私にとりまして、市長として初めての定例会でございますので、今後の市政運営に係る所信を申し上げ、議員並びに市民の皆様方のご支援とご協力をお願い申し上げたいと思います。吉村市長が演壇で所信表明をしている様子

 私は、この富田林に生まれ、働きずくめの両親の背中を見ながら、また今から思えば、近所の人たちに本当に温かく見守られながら、この富田林で育ちました。26歳で富田林市議会議員に初当選し、以来3期12年間、地方自治を学びました。
 憲法前文から引けば、「国民がその福利、すなわち幸福と利益を享受するために国政はある。」というように、地方政治を含めたすべての政治は、本来、住民の幸せと福祉の向上のためにあると、私は確信いたしました。

 また、4期16年の大阪府議会議員としての経験の中で、市町村を支える大阪府の役割を理解し、南河内地域における富田林市の広域的な使命を果たす必要性も強く感じてきました。
 私は、この28年間の政治経験、培ってきた関係、縁、そして紡いできたネットワークをしっかりと活用し、本市のさらなる発展とすべての市民の幸せの実現に向けて、粉骨砕身、努力していく決意であります。

 また、私は、東日本大震災、特に、本市がカウンターパートとして支援している岩手県大槌町への支援活動から多くのことを学びました。
 大槌町で、震災の翌年から発行されている「大槌新聞」の一面には、こんな言葉が掲載されています。
 「大槌は絶対にいい町になります」と。あの大震災で多くの町民がお亡くなりになり、まちが大変な被害を受け、今なお復興に向け、立ち上がって頑張っておられる皆さんから学ぶべきことは、言葉にならないほど大きいと感じてきました。

 震災発生時より、陣頭指揮を執ってこられた平野公三町長(当時の総務部長)は、こう話されました。「頑張ってくださいとのお声は大変ありがたいのですが、これ以上頑張れと言われても、どう頑張ったらいいのかわかりません。多くの職員が目の前で津波に飲み込まれ、死んでいく姿を見て気が動転しているんです。しかし、頑張るしかないんです。」と。
 私は、それを聞いて、今、頑張らなければならないのは、支援する私たちであり、「がんばろう!東日本」は、「頑張ろう!富田林」ではないのかと、その時、強く思いました。

 「生きる」、「生かされる」ということ、命の大切さについては、私自身の体験を含めて強い想いがあります。私事で恐縮ですが、28歳の時、当時は市議会議員でしたが、皮膚がんで手術のため入院、その後、闘病生活の経験があります。死をも覚悟した中で、近大病院の屋上から「ふるさと富田林」の方向を見ながら「負けたらあかん。負けたらあかん。」と自分に言い聞かせました。退院後5年間続けた抗がん剤投与による副作用に耐えながらの議員活動は、本当に辛かったです。同時に、同じような思いをしながら必死に頑張っている市民の方々、またその家族、ふるさとのために頑張ろうと思いました。私をずっと励まし続けてくれた、病院の屋上から見える、富田林のまちなみ。その富田林のまちと市民の皆様のために、生きている限り、一生懸命頑張ろうと誓ったこと。その経験が、私の政治家としての原点となっています。

 私が、座右の銘として、また自らへの戒めとしている言葉は、「他思力(たしりょく)」、「他喜力(たきりょく)」です。
 「他思力」とは、他者をしっかりと思う力。「他喜力」とは、他者の喜びを自らの喜びとする力です。この言葉を忘れることなく、皆様から寄せられた期待と信頼にしっかりと応え、「市民とともにつくる、市民が幸せになる、市民本位の市政」の実現に全力で取り組んでまいります。

 それでは、今後の市政運営についての基本的な考え方と主な施策について申し上げたいと思います。

目次

1.市民本位の市政の推進

2.市民の安心・安全・いのちを守るまちづくりの推進

3.「子育てするなら富田林」を一層推進

4.人とまちがにぎわう元気なふるさと富田林を創る

5.誰もが安心して自分らしく暮らせる共生福祉社会をめざす

6.たゆまぬ行財政改革、市役所改革を実行し、持続可能な自治体運営を確保

1.市民本位の市政の推進

 私が市議会議員に当選して、初めての市政相談は、視覚障がい者の方から、「富田林駅北側ロータリーの点字ブロックの色が、緑色であり、弱視障がい者には見分けがつきにくく困っている。」との相談でした。行政施策に当事者の声、市民の声を反映させる大切さを学びました。 
 また、今回の市長選挙の期間中に、聴覚障がい者の方が私を訪ねて来られました。私は手話ができませんので、筆談でお話をしました。

 「意思疎通しにくいので、買い物に行くにも、食事に行くにも大変不便を感じている。」とのお話でした。そして、最後に言われた言葉は、「私たちのことを忘れないでくださいね。」でした。私は、政治や行政に届きにくい市民の声をしっかりと聴き、市民本位の市政を展開することの重要性、当事者である市民の立場に立った市役所業務の大切さを痛感しました。
 誰もが自分らしく生き、幸せになりたい、こんな夢を叶えたいと思っておられます。私は、誰もが自分らしい生き方を実現できる地域づくりをめざし、地域で支えあい、助け合いながら、地域の夢と理想を追求する「増進型地域福祉」を小学校区単位で推進したいと考えております。

 「増進型地域福祉」とは、少子高齢化や生活困窮世帯の増加、さらには地域の消滅という事態さえ起きる現在、地域の持続的発展や次世代継承という課題を考える時に、地域を制度や政策実行の対象や手段とするのではなく、地域住民と地域の福祉関係者や団体、行政等がしっかり連携して、それぞれの地域における理想の姿や幸福の実現を地域福祉推進の目的とプロセスにしっかりと位置づけ、これからもこの地域で住み続けたいという積極的な意欲と住み続けられる条件を新たに作り出していこうとするものです。この取り組みは、極めて重要であり、今後の重点施策として進めてまいりたいと考えております。

 また、市民の皆様の生活面での課題に真摯に向き合うとともに、本市が抱える諸課題の解決を図るため、様々な角度からのアンケート調査の実施や、公共施設への「意見ポスト」の設置など、市民の皆様の声をお聴きする機会の充実に努めてまいります。併せて、広報誌や市ウェブサイト、SNSを活用した市政情報の提供はもちろんのこと、市政に関する出前講座の実施、公共施設等に設置する掲示板を活用した情報発信など、広報・広聴活動を積極的に展開してまいります。

 また、「自然・歴史・文化など魅力いっぱいの富田林」を子どもたちに知ってもらい、本市に対する愛着心を醸成できるよう、子どもにもわかりやすいニュースレターの発行についても検討を進めてまいります。
 さらに、各部局のマニフェスト作成による市政の見える化や、市民の皆様が納得できる、分かりやすい情報公開制度のあり方を研究してまいります。

2.市民の安心・安全・いのちを守るまちづくりの推進

 東日本大震災時、岩手県大槌町の消防団長をされていた煙山佳成さんとお会いしたことがあります。煙山さんは、奥様、ご子息、そして同居されていた義母様を津波で亡くされ、現在も仮設住宅にお住まいです。 
 煙山さんは「地震が起こってすぐに家に帰ると、ヘルメットと懐中電灯が用意してあった。妻が『早く行って』、私は『頼むぞ』と会話したのが最後の言葉でした。妻と息子は介護が必要だった義母と最後まで自宅で一緒だったのだと思います。消火、遺体捜索と搬送、支援物資の手配や燃料補給など、消防団員は皆使命感のみで活動しました。避難誘導中に津波に流された団員や、半鐘を鳴らしながら亡くなった団員などたくさんいます。今後に備えて、最も大切なのは避難訓練ですよ。」と、辛く悲しい記憶を、一時間にわたってお話しくださいました。

 また、阪神淡路大震災当時、兵庫県知事を務められていた貝原俊民さんを、本市に講演でお呼びした時のお言葉「災害に負けない街、災害に強く住民がともに命を守りあうことができる街は、助け合いが行き渡った街」という教えは、私の政治信条ともなりました。

 近い将来、「南海トラフ地震」が間違いなく起こると予測され、本市に最も大きな被害をもたらすと想定される「生駒断層帯地震」も危惧される中で、本市の防災対策の柱となる「地域防災計画」の改定、救助現場や災害時の情報収集に有効な「ドローン」の本格導入、小・中学校体育館の天井等非構造部材や水道・下水道の耐震化、福祉避難所の指定など、防災対策に積極的に取り組んでまいります。
 さらに、避難行動要支援者対策の充実をはじめ、助け合いの地域づくり、災害に強いまちづくりをしっかりと進めてまいります。

 また、6年前から本市内で始まった「岩手県大槌町奇跡の復興米」の栽培にも継続的に取り組んでまいります。この復興米は、東日本大震災で甚大な被害を受けた大槌町で、津波に流されながらも生き抜き、住宅の跡地で見つかった3株(433粒)の稲を源流に持つお米です。門外不出であったもみ種を、1キロ譲り受けて、田植えから始めて栽培を行っている取り組みであり、被災地で生きる人たちのことを忘れず、今後も息長くしっかりとつながり合い、被災地に学んでいきたいと思います。

 次に、暑い日も寒い日も、雨が降っても、雪が降っても、欠かさず子どもたちの通学を見守っていただいている「地域見守り活動」の皆様には、本当に頭の下がる思いです。特に、この間、各地で交通事故や子どもが犠牲になる悲しい事案が発生する中で、地域の安全面でも大変お世話になっている皆様に、たとえ一言でもお礼のお声がけをさせていただきたいとの思いから、先日、全16小学校区を巡回させていただきました。

 皆様から日頃の見守り状況を伺う中で、特に課題となっている通学路等の危険箇所については、とりまとめの上、順次、安全対策を行ってまいりたいと考えております。
 また、さらなる防犯対策の強化として、町会、自治会、商店街等に対する防犯カメラの整備補助を充実し、安全で安心なまちづくりを加速してまいります。

 次に、救命救急と地域医療の充実に向けた取り組みについてですが、2007年12月28日、大変ショッキングな事件が報道されました。それは、本市にお住まいの89歳の女性が、早朝午前5時頃に救急搬送されたものの、すぐに受け入れる病院が見つからず、約2時間後に搬送された病院で心肺停止状態になり、翌日亡くなられたという内容でした。

 当時、近畿大学医学部附属病院救命救急センター長を務められていた坂田育弘先生からお話を伺って分かったことは、この事件は、単なる病院の受け入れ拒否問題ではなく、深刻化する医師不足や、救急病院への補助金削減、診療報酬抑制などによる救急病院の減少、その一方で急増する救急搬送という構造の中で生じた悲劇だったということでした。

 その後、関係者の皆様のご尽力により、24時間365日の救命救急の当番制・輪番制を中心とする「南河内圏域救急医療体制」を発足することができ、今日に至っております。今後も、これを堅持するとともに、小児医療や小児救急医療を皆で支えていくことが重要であると考えております。

 加えて、健康寿命のさらなる延伸に向けて、特定健診の奨励や保健指導、がんの早期発見、早期治療のための各種健診の実施など、健康づくりに関する施策を効果的に実施する必要があります。
 また、南河内の地域医療の中核を担い、災害時の拠点病院となる富田林病院の整備についても、2021年秋のグランドオープンをめざして進めてまいります。

 今や、我が国は、世界最長寿国となりましたが、急速な高齢化の進展に伴い、高齢者の健康面や生活面において様々な課題が発生しています。私は、「長生きして良かったと思える富田林」の実現に向けて、高齢者の生きがいづくり、地域包括ケアシステムの充実、認知症対策の推進、高齢者及び介護者支援の充実に積極的に取り組んでまいります。

3.「子育てするなら富田林」を一層推進

 かつてイギリスのブレア首相が、子どもの貧困対策に取り組んだ時、「児童は人口の20%だが、私たちの未来の100%である。」と語られたそうです。全くその通りです。子どもは、将来の社会の大切な担い手であり、子どもたちの成長なくして私たちの未来はありません。子育てや教育における施策の一層の推進がとりわけ重要と考えています。

 子どもたちへの支援にあっては、児童福祉法の第1条「全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのっとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する。」の理念に基づき取り組んでまいります。

 今日、社会問題となっている、児童虐待や子どもの貧困対策を含めて、子どもの命と成長を守る施策を充実させ、「子ども支援」と「親支援」の両面から取り組み、保育所、学校園、行政、関係機関、地域、家庭の連携を強化することで、すべての子どもを地域で育てる環境を醸成してまいります。

 この間、喫緊の課題となっている、年間を通じた保育所の待機児童解消については、社会福祉法人による認定こども園の開園に向けた取り組みや、新たな民間保育所の誘致など対策を進めてまいります。
 市立幼稚園につきましては、園児数の減少が進む中で、昨年、「市立幼稚園・保育所のあり方基本方針」の素案をお示ししておりますが、この間の市民の皆様からのご意見も踏まえまして、ゼロベースで見直しを行ってまいります。
 また学童クラブは、学校施設の利用なども検討しながら、計画的に整備を進めてまいります。

 学校教育では、急激に進むグローバル社会において、すべての子どもの学力向上を図り、自己肯定感を高めていくことを最重点に取り組んでまいります。また、計画的に学校ICT機器の環境整備を行い、子どもたちの教育環境の向上を図るとともに、夏の暑さ対策や学習環境の向上のため、小学校の普通教室へのエアコン整備を行います。

 学校給食では、アレルギー対応食の導入を促進するとともに、地域の皆様が子どもたちと同じ給食を食べる「ふれあい学校給食試食会」を実施したいと考えております。

4.人とまちがにぎわう元気なふるさと富田林を創る

 まちに活気を生み出すためには、とりわけ市内商工業、農業の活性化、市内で働く場の確保が重要であると考えています。
 本市には、中小企業団地をはじめ、優れたものづくり企業が数多くあります。これらの企業と連携・協働し、新たな「富田林ブランド」の創出に取り組むなど、創意工夫しながら地域経済の活性化と雇用創出を図ってまいります。

 農業の活性化に向けては、新たに「富田林版はじめの一歩村」に取り組み、将来の担い手となる若手農業者の育成を図るとともに、農業者の皆様と力を合わせて、大阪農業をけん引する富田林の農業を創ってまいりたいと考えております。加えて、「えび芋コロッケ事業」など地元農産物の名物化や、生産・加工・販売までを一体的に行う六次産業化などに積極的に取り組んでまいります。

 地域資源を有効に活用した魅力発信として、公民館活動をはじめとする様々な活動により創造された市民の皆様の作品を、公共施設並びにご協力をいただける民間施設に展示し、多くの方々にご覧いただく「富田林ミュージアム」に取り組むとともに、子どもたちへの伝統芸能継承や、若者たちの文化芸術活動に対する支援等を行うことで、「元気なふるさと富田林」を創造してまいります。

 金剛地区のまちづくりについては、本市の発展の大切なエンジンの一つだと考えております。地域やUR都市機構・南海電鉄等、各種関係団体の皆様との対話を重視しながら、金剛地区にある資源の有効活用をはじめとする、新たなまちづくりに向けた取り組みを推進してまいります。
 特に、UR団地にお住まいの皆様の生活ニーズ等を把握するための調査に取り組んでまいります。

 また、東西・南北の市民交流、市民が市内各所を訪れ、お互いに地域の魅力を知り合えるような取り組みを進めてまいります。
 加えて、現在、全国的な課題となっている社会資本の老朽化対策やユニバーサルデザインの導入をはじめ、市内の道路・交通・生活環境基盤のリニューアル整備を進めるとともに、本市の豊かな自然環境を守り、市民が自然と親しみ、憩えるまちづくりを推進してまいります。

 元気なまちづくりの一つとして、市民スポーツ、障がい者スポーツの振興に取り組みます。
 私が障がい者スポーツを知ったのは、高校の後輩である本市出身の花岡伸和さんとの出会いからです。彼は、府立金剛高校在学中に交通事故で脊髄を損傷して以来、車いす生活を余儀なくされました。しかし、その後、持ち前のたくましい精神力で車いすマラソンに挑戦し、ロンドン、アテネでのパラリンピックに日本代表として出場されました。彼の「健常者スポーツと障がい者スポーツが平等に扱われる世の中をつくりたい。」との思いに共鳴し、来年の東京オリンピック・パラリンピックを機会に、より多くの市民の方にパラスポーツの魅力を知ってもらうための取り組みを進めてまいります。

 時を同じくして、来年、本市は市制施行70周年を迎えます。記念事業の企画についても、私が先頭に立ち、すべての職員が力を合わせて検討を進め、この記念すべき年を市民の皆様とともに盛り上げてまいりたいと考えております。

 加えて、一人でも多くの皆様に、富田林を愛し、応援していただけるよう、本市とご縁のある方々にサポーターになっていただく「ふるさと富田林応援団」を設立してまいります。
 考えてみれば当然のことですが、私たちが知らないだけで、本市に縁のある方々が全国で、地域のため、社会のために頑張っておられます。

 先の選挙で私が街頭演説をしていた時、じっと聞いてくださっていた女性がおられました。お話を聞くと、自衛隊員の息子さんがおられ、「息子からの電話があり、被災地で任務についていた時、吉村さんが活動しているのを見たというのです。自ら被災地で活動された経験を持っておられるので、是非、頑張ってほしいと言っていました。今日、話を聞けて良かった。」とおっしゃってくださいました。

 全国のありとあらゆるところで、本市に縁のある方々が頑張っておられる。そのような方々ともっとつながり、互いに支え合えるような取り組みができないか、考えていきたいと思います。

5.誰もが安心して自分らしく暮らせる共生福祉社会をめざす

 2014年に政府が締結した、国連の「障害者の権利に関する条約」策定の際の、障がい当事者のスローガンに、「Nothing about us,without us」(私たち抜きに、私たちのことを決めないで)というものがあります。これはすべての事柄に当てはまることだと思います。
 私は、若者・女性・障がい者・外国人市民など、多様な市民の声を市政に反映したいと考えています。

 まず、この間、「Topic(トピック」で行われている青少年委員会の取り組みや、市民会議“Mira-ton”の取り組みとも連携しながら、富田林の若者を対象に、「若者が富田林の未来を考え、まちづくりに参加する会議」の創設を進めるとともに、若者が活躍するまちの形成に向けて、「若者条例」の策定に取り組んでまいります。

 また、市内の外国人市民が増加、多国籍化する中で、様々な国籍や文化的ルーツを持つ市民が、ともに暮らすことのできる多文化共生のまちづくりを総合的に推進するため、「多文化共生推進指針」を改定してまいります。
 この指針が「活きて働く指針」となるよう、外国人市民だけでなく、実際に外国人技能実習生等を受け入れている企業・関係者の皆様からも意見を聴取する機会を設けたいと考えています。

 さらには、SDGs(持続可能な開発目標)の17の目標の実現に向けた「富田林版取組方針」を策定し、環境問題や様々な人権問題の解決に向けて、市民の皆様と共有・協働しながら取り組みを推進してまいります。

6.たゆまぬ行財政改革、市役所改革を実行し、持続可能な自治体運営を確保

 5月7日の初登庁の日に職員訓示を行いました。
 「市役所職員の皆さんは、どうか、困って窓口にやってこられた市民や、担当課につながれてきた相談を、皆さんの家族、子どもや親のことと思って応対してください。すべては我がこと、我が家族のことの思いで、現状の業務を、市民サービス、行政サービスを吟味し、日々改善し改良してください。そして、『困りごとは何でしょうか。具合はいかがですか。ご不便はございませんか。またいつでもお出でください。ごきげんよう、お元気で。』といったように、笑顔で、親切ていねいに応対してください。

 市民は市役所を選べません。困ったからと言って、羽曳野市役所や河内長野市役所に行くことはできません。ここしかないのです。また、民間企業のように、サービスが悪いからと言って、別のお店に行くこともできません。市役所は、言わば完全なる独占企業です。
 市役所は、市民サービス、行政サービスの実施機関として、自らのありようを民間企業よりも厳しく律し、サービスの質を常に高めていく必要があります。そのような私たちの姿勢、努力、誠実さ、真剣さがあってこそ、市民の信頼を得ることができ、市民との真の協働が成り立つのだと思います。

 親切ていねいな富田林市役所、市民を決して途方に暮れさせない富田林市役所、市民の駆け込み寺、市民を守る最後の砦としての富田林市役所になりましょう。またそのような富田林市役所職員になっていただきたい。
 市役所が変われば、富田林市はもっと変わります。
 市民の笑顔を想像しましょう。またその悲しみ、苦しみにしっかりと寄り添いましょう。
 失敗することを恐れるよりも、私たちが真剣でないことが生み出す市民のあきらめや絶望、地域社会の崩壊を恐れましょう。
 そして、職員一人ひとりが孤立して頑張るのではなく、チーム富田林として組織を再構築し、力を合わせ、総合力を高めて頑張りましょう。

 厳しい財政状況の下で、決して多くはない人員、職員として厳しい業務ですが、私たちがあきらめたら終わりです。終わるだけでなく、市民に、地域にもっと悪いことが起こってくる。市民の皆様のお力もお借りしましょう。行政と市民が対等の立場で、お互いを尊重、尊敬し、力を合わせて、これからの富田林を創っていきましょう。」と職員の皆さんに呼びかけました。

 特に今日、市民ニーズが複雑多様化し、地域が様々な課題を抱える中で、縦割り行政の壁を排して、地域の情報や課題を市民と行政で共有しながら、市民主体の協働のまちづくりを推進するため、「地域担当職員」制度を導入してまいります。「地域担当職員」には、まずは、小学校区ごとに取り組む「増進型地域福祉」を推進する行政側の役割を担っていただきたいと思います。

 また、地域の課題解決に向けては、職員や地域の方々が集い、自由に活動できる「地域活動拠点」が必要と考えています。その活動場所のあり方について、「余裕教室活用指針」の見直しも含め、先進事例も参考に検討を進めてまいります。
 聖域なき行財政改革として、市民目線に立った業務改善並びに行政施策の点検を行うとともに、政策・施策の立案・推進にあたっては、専門的知識や技術、経験などを有する方から積極的に指導・助言を受け、幅広い視点から先進的・効果的な行政施策の導入に努めてまいります。併せて人材育成を目的とした大阪府等との人事交流や、職員研修の充実などにも取り組んでまいりたいと考えております。

 当然のことですが、市の財政には限りがあります。だからと言って、「厳しい財政状況だから、できません。」と言えば、それで済むわけではありません。なぜなら、市の収入は言わば市民の皆様からお預かりしているお金です。そのお金をどのような優先順位で、どのような内容で市民の皆様にお返ししていくのか、それが問題であり、その視点を決して忘れてはならないと思います。見直すべきものは見直し、投資すべきものには投資する。
 そして組織全体として、業務における生産性の向上を追求していきたいと思います。

 冒頭に申し上げましたように、私は、富田林市議会議員に初当選して以来28年間地方自治を学びました。市民福祉の向上のための市役所のアプローチ、議員としてのアプローチを学び、そして私なりのアプローチの仕方を追求してまいりました。
 登山にたとえるならば、市民福祉の向上、すなわち富田林に生まれて良かった、暮らして良かった、長生きして良かったと言える、市民の皆様が幸せを実感できる状態という頂上をめざすためには、色々な登り方、ルートがあることを学びました。足場をしっかり固め、さまざまな装備を活用し、天候という情勢も確認しながら、富田林市民の幸福を実現するために、行政、政治は一歩一歩、ルートを選択し、ある時は道なきところに道を切り拓きながら、市民と一緒に一本のザイルで登っていかなければならない。そう思っています。

 まちは、市民と行政の協働による創造物です。「富田林市は、絶対に良いまちになります」。市民の皆様とともに力を合わせ、「人とまちがにぎわい、市民の笑顔があふれる、麗(うるわ)しの富田林」を創っていくために、今後4年間の任期を通じて、全力で取り組んでまいりますので、議員各位をはじめ、市民の皆様のご支援とご協力を心からお願い申し上げまして、私の所信表明とさせていただきます。

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